text & photo:Kazuhide Ueno (上野和秀)
1966年に多摩美術大学プロダクト科を卒業し、カーデザイナーとして世界的に活躍した3人の足跡を振り返る作品展が、母校の多摩美術大学八王子キャンパスで行われた。
日本でカーデザイナーという存在がまだ認められていなかった時代に、多摩美プロダクト科で同級生だった児玉英雄氏と青戸 務氏、河岡徳彦氏は、卒業後に早くも夢を実現させる。児玉氏はドイツのアダム・オペル社、青戸氏は本田技研、河岡氏は東洋工業に入社し、カーデザイナーとし第一歩を踏み出す。その後1969年に青戸氏が、1970年に河岡氏の両名がオペル社に移籍し、奇しくも3人は同じスタジオで再開することになる。
今回の作品展では3氏の学生時代のスケッチを始め、オペル在籍時の門外不出のスタディ・モデルなどのレンダリングから、近年制作された作品までが展示された。あわせて3氏の思い入れのあるモデルカーやエアプレーンなどのコレクションも展示され、来場者の注目を集めていた。
会期の初日には基調講演が開かれた。今回児玉氏は仕事の都合から生憎帰国できず、青戸氏と河岡氏のみの講演となった。在校生に向けた内容の講演では、これまでの経験に基づく仕事の取り組み方から、創作活動のヒントやさまざまな裏話が披露され、未来のデザイナーとなる在校生は、先輩達のメッセージを真剣に聞き入っていた。
今回の作品展では3氏の作品展示のほか、日本人として一足先にオペル社に入社した福崎多恵子さんの活躍も紹介された。彼女は1963年にデトロイトのGMスタイリングに入り、1965年1月からアダム・オペル社に移籍しインテリア・ステューディオに配属され、オペル車のインテリア・デザインを始めカラースキムなどで活躍。3氏にとってオペル社での先輩であると共に、姉のような存在でとてもお世話になったことから、ここで改めて紹介された。
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受付横には今回の「3 Three—多摩美プロダクトから世界へ羽ばたいた3人展」の趣旨が説明された。
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児玉英雄氏の展示コーナにはオペル社のデザイン・スタジオで活躍する若き日の写真がトップに飾られた。
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CG誌児玉英雄ギャラリー用に制作したアルファ・ロメオ・ティーポ33やフェラーリ・セルジオ等の近作も展示。
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多摩美在校時に児玉氏が描いたスポーツカーのスケッチが現存していた。当時のトレンドが取り入れられている。
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オペル在籍時にカレンダー用に書かれたクラシック・モデルとスタディ・モデルを対比させた作品。
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左の2点はスタディ・モデルのレンダリングと、右の2点はオペルのカレンダー用に制作したもの。
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現在アオト・デザインを主宰する青戸 務さん。根っからのクルマ好きで、作品からもその愛情が見て取れる。
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青戸氏はスタディ・モデルとして制作し、スタイル・オート誌で紹介されたオペルcdを中心に展示。
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レトロ・モダン・デザインとしてアバルトとアルファ・ロメオをイメージした、青戸氏の近作も持ち込まれた。
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オペル/GM在籍時代に描かれた習作のレンダリング。後にGMグループで使われるモチーフが見られる。
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4パッセンジャー・スポーティ・セダンと名付けられたスケッチ。アメリカナイズされた雰囲気が特徴。
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こちらは青戸氏がデトロイトのシボレー・スタジオに在籍した時期に描かれた、次期モデル用のレンダリング。
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東洋工業、オペル、マツダ、スズキを経て、現在デザインコンサルタント「わ」を主宰する河岡徳彦氏。
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河岡氏のオペル時代の代表作が同社のCIとなったブリッツマーク。マンタやボブスレーのデザインも手掛けた。
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多摩美在籍時代に制作された河岡氏のデザイン・スケッチ。当時の先端モチーフが随所に盛り込まれている。
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1975年に交換デザイナーとしてデトロイトのGMテックセンターに在籍時に制作した次期コルベットの習作。
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こちらも河岡氏が多摩美在籍時代に制作したスケッチ。先進的といえるスタイリッシュなトラックが描かれていた
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デトロイトのGMテックセンター時代に、河岡氏は数多くのコルベットのイメージ・スケッチを制作している。
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日本人として一足先にオペル社に入社しインテリア関係で活躍した福崎多恵子さんの足跡も紹介された。
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作品展の初日には基調講演が開かれた。青戸氏はこれまでの経験に基づく仕事の取り組み方を伝えた。
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河岡氏は創作活動の視点を語り、未来のデザイナー達は先輩達の経験の基づく話を真剣に聞き入っていた。
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3名の秘蔵コレクションも展示された。こちらは児玉氏が気に入って飾っているサーブ・プロトタイプのオブジェ。
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青戸氏はドイツ在住時代に手に入れたシュコー社のマイクロレーサーと、後年のF1モデルを持ち込んだ。
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河岡氏はオペルに在籍していた頃にノミの市で見つけたメルクリン製のユンカースのテインモデルを展示した。