アルペン・クラシックカー・ラリー 2015
2015.11.06-08
往年の国際ラリーで活躍したクラシックカーを、WRC等と同様のスプリントで競う本格的なターマック・ラリーを日本で再現したのがアルペン・クラシックカー・ラリー(ACCR)だ。日本のクラシックカー・ラリーは規定タイムを競うPCによる競技が主流だが、SSでタイムを競うWRC方式を日本で普及させるために始めたという意味合いも持つ。
アルペン・クラシックカー・ラリーは、これまで日本には無かったペースノートを使い本気で走る、クラシックカーによるスプリント・ラリー・イベントとして2012年から始められた。大会会長にはWRCを始めワールドワイドに活躍し、今年の全日本ラリーJN6クラスのチャンピオンを獲得したラリードライバーの新井敏弘氏が務める。
4回目となる今年のニュースは、これまでの1975年以前のクルマの「本戦クラス」に加え、1989年までの輸入車が参戦できる「オープンクラス」が新設されたことだ。これにより、幅広いオーナーが参加し易くなり、ランチア・デルタやポルシェ911等4台がエントリーした。
今回も3日間の日程で行われ、1日目はアークヒルズのカラヤン広場に集合しドライバーズ・ミーティングを行い、午前9時に1号車がスタート。SSが設けられた群馬県の嬬恋村まではリエゾン区間とされ、到着後は本戦コースでレキ走行が行われた。
2日目はフルにプログラムが組まれ、午前中に3本のSSが行われた。昼に一度サービスパークに戻り車両のメンテンスとランチタイムとされた。午後は更に濃密な内容となり4本のSSが用意され、激しいタイムアタックが繰り広げられたが、参加者のスキルは着実に向上しており、アクシデントは皆無だった。
晩秋の開催だけに日暮れが早く、後半SSでは夕闇が迫り、4本目のSSはナイトステージとなり、往年のラリー・シーンを思わせる光景が広がった。
最終日となる3日目は天候が崩れたが朝7:30から競技がスタートし3本のSSにアタックした。参加者は条件の良くない路面コンディションにもかかわらず、確実で速い走りを見せていた。
SSをこなしたあとは再びアークヒルズのカラヤン広場を目指し、ここがフィニッシュ地点となった。ゴール後に表彰式が行われ、杉本/久保田組が2位に16秒の差をつけ優勝を勝ち取った。
新たに設けられたオープンクラスではこれまでとは異なる参加者を迎え、エントラントたちの満足度も高かったそうだ。また4回目と実績を重ねてきたことから、開催地との連携や運営面、ホスピタリティ面も大きく向上し、参加者や関係者からも高評価を得ていた。
本格的なターマック・ラリーを日本で再現した、唯一の存在であるアルペン・クラシックカー・ラリーは、着実に成長を遂げていた。走りを愛するクラシックカー・ファンはもちろん、ラリー・ファンにとって、これからも注目のイベントだ。
今年もスタート・ポイントはアークヒルズのカラヤン広場とされた。
受付を終え最初の作業はゼッケン貼りから。気持ちが高揚してくる。
ボディに写り込む様は、ツアーオートでのグランパレのシーンを思わせる。
スタート前にドライバーズ・ミーティングが行われ、注意点が伝えられた。
午前9時になるとゼッケン順にカラヤン広場をスタートした。
スタート地点から群馬県嬬恋村まではリエゾン区間とされた。
到着後はコースの下見となるレキを行い、各自ペースノートを作成する。
サービス・ポイントでは各部のチェックや、セッティングの変更を行う。
夜はホテルでディナー・パーティが行われ、参加者同士の親睦を深めた。
2日目は朝からSSが3本続く。スタートを待つフォード・エスコートRS。
ゼロカーには大会委員長で現役のラリーストである新井敏弘氏が乗った。
SSは嬬恋村周辺にあるターマックの林道をクローズドして行われた。
午後のSSは晩秋だけに日暮れは早く、ライトオンでの走行となった。
最後のSSはナイトステージとなり、当時を思わせる光景が再現された。
両日ともスタート前にドライバーズ・ミーティングが行われた。
3日目は雨となったが、3本のSSにアタックした後、東京に戻った。
アークヒルズのカラヤン広場がゴールとされ、多数のギャラリーが出迎えた。
全車無事にフィニッシュ。1989年までのオープンクラスは4台が参加。
ヨーロピアン・カンパニー・ウォッチの時計を始め豪華商品が用意された。
入賞者には大会会長の新井敏弘氏からトロフィーと賞品が贈られた。
表彰式のあとは参加者全員で記念撮影を行い、来年の再会を約束した。





















