Club ZAGATO GIAPPONE 2015

2015.12.06

text & photo:Kunio Okada (岡田邦雄)

 
12月の最初の穏やかな日曜日、カロッツェリア・ザガートが創り出したクルマたちをこよなく愛する人たちのクラブ・ザガート・ジャポネの集いが、東海に臨む沼津の丘陵地で開催された。

飛行機の機体製造の経験を積んだウーゴ・ザガートによって、ミラノの北に1919年に創業されたカロッツェリア・ザガートの工房は、アルファ・ロメオの本拠地のすぐ近くでもあり、ミッレ・ミリアで活躍したアルファ・ロメオのボディを製作したことで、名声を高めた。ザガートのボディは、軽量で空力的だったので、レースに向いていた。戦後もウーゴの息子たちによってその特質は受け継がれ、レースに出場する顧客のためにボディを製作した。1950年代から’60年代にかけては、ザガート・ボディのフィアットやアルファ・ロメオやランチアが、スポーツカー・レースで大活躍した。

‘60年代にはエルコーレ・スパーダというチーフデザイナーの才能が開花し、メーカーのプロダクション・モデルも多数生み出した。しかし、ピニンファリーナやベルトーネのように大規模な生産設備は持たず、比較的小規模な少量生産車であった。

スパーダがBMWのデザイナーに移籍した後のザガートは、優秀なデザイナーに恵まれなかった。しかしその間にも、アルファ・ロメオES30(市販車名はSZ)やランチア・ハイエナ、また日産系のオーテックと組んで日産車ベースの限定車も生産し、トヨタ系のモデリスタにもデザインを提供してVM180などを生み出した。

‘80年代からはザガート家3世代目のアンドレア・ザガートが、ザガートの存続に奮闘し、スパーダの薫香を受けた原田則彦をチーフデザイナーに採用して、往年のザガートの血脈を受け継ぐ佳品を創り出してきた。

そして、ピニンファリーナやベルトーネが落日を迎えてしまうような、現在のイタリア・カロッツェリアの状況のなかで、唯一、顧客からのフォリセリエ(一品製作)の注文にも対応できる最後のカロッツェリアとしての矜持を誇示しているのである。

クラブ・ザガート・ジャポネは’80年代にアンドレア・ザガートが来日した折に、故石井彰比古氏がアンドレアに相談してクラブ設立の礎ができた。その後、石井氏の逝去により、クラブとしての活動は中断していたが、21世紀に入って石井氏の遺志を継ぐ有志たちによって活動が再開された。

そのクラブ・イベントとして6回目を迎えたが、故石井氏の愛車であったフィアット1100TVザガートがレストア途中ながら展示され、その周りにクラブ員たちの様々なザガートも集まり、過去から未来へのザガートに想いを馳せる佳き日を寿いだ。

  • 今回の主役となったのは、ボディサイドにZのラインが誇示された1953年ごろのザガートたちだった。左はフィアット・ザガート750MM、右はフィアット1100TVザガート。

  • フィアット1100TVザガートはクラブ創始者である故石井彰比古氏の愛車。今回はレストアが終わっての展示という触れ込みだったが、まだエンジンも搭載されていない状態だった。

  • トリノで1926年から商用車やバイクのメーカーとして出発したモレッティ。戦後ル・マンやミッレ・ミリアに挑戦し、これは1954年のミッレ・ミリアに出場したモレッティ750ザガート。

  • アバルトをしてアバルトたらしめたのは、フィアット600をベースにした車両の成功だった。とりわけザガートとアバルトが結びついたことで、最も魅力的な小型スポーツカーが誕生した。

  • 今回は3台のフィアット・アバルト750GTザガートと、1台のフィアット・アバルト・セストリエーレの参加があった。1958年から1959年にかけて製作されたクルマだ。

  • これは1967年のアルファ・ロメオ2600SZ。アルファ・ロメオとザガートは、お互いミラノ郊外の近い場所にあり、戦前戦後を通して特にレース用のボディが多かった。こちらは公道用。

  • 戦後はGPカーの158/9のボディを製作した後にレース用のSVZ、SZ、TZと続く。新開発の6気筒2600ccのモデルにアルファ・ロメオとザガートが意図したのは豪華なGTだった。

  • 戦前にランチアのボディをほとんど架装したことのないザガートだが、戦後はランチアの最もスポーティなモデルのデザインを請け負う。これは1968年のランチア・フルヴィア・スポルト。

  • ザガートはアルファ・ロメオのためにエッジの効いたジュニア・ザガートを造形する。同時期に同じチーフデザイナーによるランチア・フルヴィア・スポルトは大人っぽくてシックだ。

  • 戦前のランチアは自らのモータースポーツ活動に自制的だったが、戦後の2代目の時代になるとレースに積極的に参加した。創業家と離れてからもレース活動は再開され、このフルヴィアはセブリングなどで活躍した。

  • レースやラリーで活躍したザガート・ボディを持つランチアは、アッピアやフラミニアがある。そのなかでフルヴィア・スポルト・ザガートは、レースに出場した最後のランチアのザガート・モデルになる。

  • ナイフで削り取ったような鋭いラインを持つアルファ・ロメオ・ジュニアZは、1969年から生産が始まった。このころにチーフデザイナーのエルコーレ・スパーダが試行錯誤したデザインのなかでも傑作と言われる。

  • アルファ・ロメオ・ジュニアZは当初は1300ccだったが、1972年に1600ccに拡大された際にフロント・エンド(バンパー)とリヤ・エンドのデザインが些か変更された。

  • アルファ・ロメオとして3代目のSZとなるES30は1989年に発表された。ザガートは開発の過程から関与して生産を受け持った。RZはSZの生産終了後に造られたロードスター版だ。

  • 日産レパードをベースに、少数が作られたオーテック・ザガート・ステルビオ(STELVIO)。会場に綺麗にレストアされた個体が登場した。ステルビオは約110台が生産されたという。

  • ステルビオに続く日産車ベースのザガート・モデルが、このガッビア(GAVIA)で、生産台数は30台という。ザガートは、他にZをベースにしたAZ4セタやブンブーも手掛けている。

  • 会場内にはドイツの高性能オイルであるリキモリや、町田のイタリア料理店トラットリア・マリーも出店し、特製ザガート・クッキー等も販売して、参加者や見学者を飽きさせなかった。

  • 現在のザガートもアンドレア・ザガートの奥様が才媛の誉れ高く、経営に携わっている。クラブ・ザガート・ジャポネでも同じく、会員の美人の誉れ高い奥様たちが実質的に運営している!

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