8a COPPA DI SUZUKA 2016

2016.01.17

text & photo:Gumi Ogata (小方具美)

日本のモータースポーツは、実は戦前からの歴史があり、欧米とは違って極めて単発的であるけれど、1936年に造られた多摩川スピードウェイでは、本田宗一郎が自ら製作したレーシングカーで出場していた。また、ニッサンは我が国で最初のDOHCエンジンと独自に製作したスーパーチャージャーを装着したレーシングカーを開発していた。

だから、もしも、この極東の島国で、そのままレースの歴史が続いていたらば、日本のモータースポーツはもっと発展していたことだろう。しかし、歴史に”if”は禁物で、実際には第2次世界大戦という断絶があり、日本のモータースポーツは20年以上も途絶えてしまい、1963年に鈴鹿サーキットができたことによって復活して、レースばかりか、生産車まで、急速な成長を促進する切磋琢磨の場となったのだった。

NRCこと名古屋レーシングクラブは、鈴鹿サーキットと変わらぬ歴史の古い自動車クラブで、ここ鈴鹿で多くのレースを開催してきた。特に鈴鹿ゴールデン・トロフィーは鈴鹿伝統の開幕戦となり、その起源は1967年1月に開催された「鈴鹿300kmレース」に求めることができるだろう。1967年にはフェアレディ2000、1968年にはポルシェ906、1969年にはトヨタ7、1970年にはポルシェ908が優勝を飾っている。

ゴールデン・トロフィーというタイトルが再び掲げられるようになったのは、1999年のことで、それ以来、ヒストリックカーやネオ・ヒストリックカーのレースとして開催され、愛好家に親しまれている。

コッパ ディ 鈴鹿もこの鈴鹿伝統の開幕戦の1プログラムとして組み込まれるようになり、今年で8年目を迎えた。気軽な楽しみと真剣な情熱が両立する、エンスージャストの走行会として、会を重ねるごとに、評価も人気も高まっているようだ。

今回はポルシェ906を始めとする半世紀も昔のヒストリックカーから、近年のポルシェ・カレラGTなどのヤングタイマー/スーパーカー・クラスまで、3つのカテゴリーに分けられた。それぞれのクラスのオーナーは、寒風をものともせずに、ラップタイムを楽しく競い合った。

  • コッパ ディ 鈴鹿の主人公は、’60〜70年代初頭までのスポーツカーとツーリングカー。アルファ・ロメオ2000GTV Am仕様(ツインプラグ!)とフィアットアバルト124ラリー

  • あなたはこのクルマをご存知ですか? 一見、モダンなアバルトのようなスポーツカーの中身は、なんとマツダAZ-1。かつてギャラリー・アバルトがプロデュースしたマニアックな1台。

  • 端正で品もあるピニンファリーナがデザインしたランチア・ベータ・モンテカルロも、ヤングタイマーのクラスに登場。1980年のモデル。ここから037ラリーも生まれた。

  • コッパ ディ鈴鹿はレースではなく走行会だがタイム計測を行い、3クラスに分かれてのタイム・アタックにはプライズが用意されている。

  • さあ、出陣。筑波のレースで活躍するオーナーの加藤氏は、珍しいアルファ・ロメオ2600ツーリング・スパイダーで出場された。

  • 名古屋の老舗修理工場たる渡辺自動車提供のジャガーFタイプに、名古屋レーシングクラブの鬼頭会長が乗り込み、先導車役を務められた。

  • 英国フォードは1911年のT型フォード以来、英国で大きなシェアを占めてきた。フォード2世の号令でモータースポーツへの積極的な攻勢が始まり、コルチナ・ロータスが生まれた。

  • コルチナ・ロータスの後継車はエスコートだ。より軽い車体にはロータス・ツインカムが搭載され戦闘力を高めた。1971年になると新設計のDOHCユニットを積むRS1600が登場する。

  • 1960年型のオースチンヒーレー・スプライト。英国での愛称はフロッグ・アイだが、日本ではカニ目の愛称で親しまれている。可愛いライディング・メカニックの指導を受けているところ。

  • 1963年の第1回日本グランプリでフォン・ハンシュタインの乗る356カレラ2が、フェラーリ250GT SWBとの接戦を演じて、日本人に強い印象を与えた。ここから日本のレースにおけるポルシェの伝説が始まった。

  • 日本で最初にポルシェ906、通称カレラ6に乗ってレース活動を始めたのは地元名古屋の滝進太郎。彼は日本で最初のプロフェッショナルなレーシング・チームを組織し、トヨタやニッサンのワースカーと互角の戦いをした。

  • 今から50年ほど昔となる1967年の鈴鹿1000kmレースで優勝を飾ったのは、滝進太郎のポルシェ906だったが、3位から5位を占めたのはホンダS800だった。平べったい形状のハードトップがワークスカーを偲ばせる。

  • 小さいクルマではフィアット500の1969年型や1963年型の600も走った。多様なクルマたちそれぞれの、クルマの特性にあったライン取りを観察するのも観戦の楽しみのひとつだ。

  • 1964年型アルファ・ロメオは6気筒で2600ccと余裕のあるGTだ。対する1969年型のフィアット500は1/5の排気量で2気筒なれど、高度にチューニングされ、軽量だけに侮り難い。

  • トップ争いはこの2台の対決だった。共に高度なチューニング技術と運転技術を併せ持つエンスージァストで、それぞれの中身もほとんど別物で、只者では無いことは一目瞭然だ。

  • オーバーフェンダーでより丸みを帯びたアルファ・ロメオ2000GTヴェローチェは外観だけでなく、エンジンもツインプラグのAm仕様。手前はピニンファリーナの端正なデザインが魅力のランチア・ベータ・モンテカルロ。

  • このVWカルマン・ギアも只者では無い。おそらく世界最速といえるフォルクスワーゲンの1台だろう。ポルシェをカモるため極限までチューニングされたもので、クルマをいじる楽しみはこういうところにもある。

  • ポルシェは917によるル・マン制覇に至る頂上作戦の道を歩み始め、906の登場でその大きな第1歩を踏み出した。日本でもポルシェ906は様々なレースで大いに活躍し、それからすでに半世紀ほどの時間が過ぎているのである。

  • 鈴鹿ゴールデン・トロフィーでは、コッパ ディ鈴鹿以外にも、走行会や公認レースが催された。こちらはBRDC CUPの参加車両で、ジネッタG4とシェブロンB8。

  • 同時に開催されたBRDC CUPは英国車だけの走行会。ロータス14エリートは、シャシーもボディもFRPによるフルモノコックなので、まるでプラモデルのような成り立ちを持つ。

  • こちらはケーターハム7などが走るネオ・ヒストリックカーのレース。往年のトヨタ7やポルシェ908/3などを模したボディを、鈴鹿のコンストラクターが製作したシャシーに載せたもの。

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