スバルAWDオールラインナップ雪上試乗会
公開 : 2016.02.13 12:40 更新 : 2017.05.29 18:41
ここ数年のスバルといえば、何はなくとも Eye Sight 推しで、いかに安全性を追求したクルマ造りをしているかを前面に出してきた感がある。しかし、本来のスバルといえば、やっぱり4輪駆動という印象を持っているのは僕だけではないようだ。実はスバルの乗用車のラインナップで言えば、RWDのBRZを除くと、いまやラインナップにFWDがあるのはインプレッサだけで、気がつけば後はすべてAWD(4輪駆動)のモデルのみという構成となっている。実際にも世界的な生産で言えば、スバルの94%がAWDモデルだという。また、これはオフレコ(?)だが、次期インプレッサはFWDモデルのテストも行ってはいるようだが、最終的にカタログに載るモデルはすべてAWDとなる可能性すらあるというのだ。こうなると、本当にBRZ以外は、すべてボクサー・エンジンのAWDということになる。
今から20年とか30年ぐらい前には、この季節、スバルといえば赤城の氷上での試乗会が恒例で、スバル乗りの “オヤブン” の上州オートクラブ(JAC)の故・小関典幸さんが、その試乗会で華麗なテクニックをこれでもかというぐらい魅せてくれたことを想い出す。
そんな話はともかくも、日本で初めて乗用車タイプのAWDモデルと発売したのはスバルなのだ。1972年のことだから、もう44年の前のこと。実は、僕が社会人となった時に、最初に勤めた出版社にはこのレオーネ4WDエステートバンがあった。バババババという水平対向エンジンのサウンドと、やたらと雨に日に安定した走りを見せたことを今でも覚えている。
ちょっと話は脱線するが、今回、お伺いした話の中で面白いエピソードがあった。それは、このスバルの4WDの誕生のウラには、かの白洲次郎のアイディアがあったのだという。1971年、当時、東北電力の初代会長の座にあった白洲次郎は、スバル1000の構造を見て、これは4WDに改造できるとひらめいたらしい。自動車好きとしても知られ、メカニズムにも詳しい白洲次郎ならではの発想だ。そのアイディアをベースに宮城スバルが僅か半年でテスト・モデルを製作し、これが同年の東京モーターショーにスバル1300バン4WDとして参考出品され、そして1972年の初の国産乗用車4WD、レオーネ4WDエステートバンに繋がることになったというのだ。これには、エグスプロージョンではないが「諸説あり」という但し書きが付くようだが、如何にもそれらしい逸話ではある。
PCWRCや全日本ラリー選手権、全日本ダートトライアル選手権で活躍する鎌田卓麻選手のデモンストレーション・ラン。コースは今ひとつ判り難いが、そのステアリングさばきやサイドブレーキの使い方をご覧いただきたい。