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第一次世界大戦後のイタリア・ブレシアで開催されたレースで上位を占めてブガッティの名声を最初に上げたのがOHC4気筒1500ccユニットを積むブガッティT13ブレシア(1925年)。
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1924年に登場してから、当時のジェントルマン・レーサーに愛されて、ヨーロッパ中のレースで活躍したのがブガッティT35グランプリ(1927年)はOHC8気筒2300ccエンジンを搭載。
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MGは戦前にレースのために生まれた。戦後は、より多くの人に愛されるスポーツカーとなってゆく。Lタイプ・マグナ(1933年)はOHC6気筒1087ccユニットに過給器を装着した。
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カロッツェリア・ベルトーネの流麗なスタイルがアルファ・ロメオ・ジュリアSS(1964年)の魅力。最近、ようやく正当な評価がされるようになってきた。DOHC4気筒1600cc
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SSと同じくジュリアでも、レース用のボディ製作の請負で名を上げたカロッツェリア・ザガートのアルミ・ボディを纏うのが、チューブラー・フレームのTZ(1964年)はレースで活躍。
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フィアット600をベースにしたアバルトの一族に属する850スコルピオーネ(1960年)。ミケロッティのデザインによるカロッツェリア・アレマー製作のボディを持つ。OHV4気筒833cc。
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京都の花街のひとつ上七軒では、老舗の和菓子屋さん『老松』で、お菓子提供のサービスがあった。
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菅原道真を祀り、学問の神様とされる北野天満宮で、交通安全の祈願を参加者も参加車両も授かった。
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前夜祭は加茂川沿いの老舗「ちもと」の川床と、祇園のお茶屋「一力亭」で、京都の風雅を楽しんだ。
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コッパ・ジャポネのそれぞれのイベントの特色は、素晴らしいセンスのデザインにある。参加者には特別に用意されたリミテッド・エデションの参加賞の数々が渡された。
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6月11日、京都府庁で受付が始まった。スタッフ・ウェアは土曜日は「森の京都」をイメージする緑のTシャツ、日曜日は「海の京都」をイメージする青いTシャツだった。
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京都府庁に続々と参加車両が到着する。ミッレ・ミリアで活躍し、ニューヨーク近代美術館から「動く彫刻」と評価がなされて保存されているチシタリア202SC(1948年)も現れた。
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1904年に建設された京都府庁旧館の議場は、国の重要文化財のため普段は誰も入れない。そこでクラシックカー・ラリーのドライバーズ・ミーティングが催されることは前代未聞のこと。
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今回のコッパ ディ 京都を支援したのは、フランスではツアー・オートも支援する時計会社ゼニス。アルド・マガダ社長もスイスから来日して、ヒストリックカーへの情熱を披露した。
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コッパ ディ 京都を後援してくださった京都府の山下副知事も、この議場に入るのは2回目という。「海の京都」と「森の京都」という京都府の新しい観光コンセプトの説明をいただいた。
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北野天満宮に並ぶ参加車両。初日は初夏の爽やかな天候に恵まれた。
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北野天満宮での厳かな儀式には、参加者全員が参加した。
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宮司さんにより、すべての参加車両がお祓いを受けた。
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今回は車種と年代を勘案して、きめ細かく5クラスに分けられた。
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京都の町並みを走るMG Lマグナ。過給器が装着されている。
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参加車両が通る時には道行く人も立ち止まり、手を振っていた。
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トンネルが出来たために廃道となった峠でヒルクライムが催された。地元京都から参加の1952年のMG TD。
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1970年型トヨタ2000GT後期型がリトラクタブル・ライトを上げスタート。PCとヒルクライムの連続区間だ。
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1969年型アルピーヌA110がカッ飛んでゆく。ヒルクライムの最速はやはり’66年以降のクルマたちが競り合った。
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山深い丹波の昼なお薄暗い山道では、1964年型のシトロエンDSもライトを点灯してスタート。
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クラスEは1965年以降の生産車でも特にスペシャルなクルマたちのクラス。こちらは1980年型ルノ-5ターボ。
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かつてのフィアットはこの600(1962年)のように時代に先じて品質も高い大衆車を開発した。
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新たな観光テーマである「海の京都」を走る。戦前のロードスターからの歴史を持つダットサンのスポーツカー、フェアレディ2000(1967年)。
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ここは日本海の宮津湾。戦後のアルファ・ロメオとピニンファリーナによる名作ジュリエッタ・スパイダー(1957年)が駆け抜ける。
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まもなく1日目のゴール。古くからの歴史を持つ、英国唯一の民族系スポーツカー・メーカーがモーガンだ。こちらは1969年型プラス8。
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クラスA(バルケッタのみ)のヒルクライム1位は、吉田さんの1950年型シアタ750Sだった。シアタが独自に開発したエンジンをナルディが設計したチューブラー・フレームのフロント・ミッドシップに搭載し、当時のミッレ・ミリアに3回挑戦した。
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クラスD(1956〜1965年に生産された車両)のヒルクライム1位は、ジェームス・ディーンが愛し、アメリカのSCCAのレースで活躍した雰囲気を演出したペガサスのロゴマークの似合うポルシェ356スピードスターに乗る柴田さんご夫婦だった。
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夜のパーティーはラスト・タンゴ・イン・丹後 ! で盛り上がる。アルゼンチン本国を始め世界的に活躍するタンゴ・ダンサーのマナとアレハンドロ・ザッコが踊り、演奏も世評高い、バイオリン会田桃子、ピアノ三枝伸太郎、バンドネオン北村 聡だった。
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2日目のスタート。ゼッケン1のジャウル・タラスキ750S(1951年)からバルケッタが連なる。
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ワインディングを軽快に駆け下っていく、ゼッケン2番のスタンゲリーニ750S(1953年)。
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1953年のミッレ・ミリアでローマの貴族が乗ったエルミーニ1500S(1953年)はビアルベーロ(DOHC)エンジン。
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天橋立をバックにPC競技に真剣に立ち向かうブガッティT13ブレシア。
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ファミリーで参加のフィアット1100TVピニンファリーナ(1954年)。
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フィアット508SベルリネッタMM(1935年)が連続PCに挑む。
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ジャガーXK120ドロップヘッド・クーペ(1953年)の湯川さんは、手堅く走り総合3位を獲得した。
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ジャガーXK120フィクスドヘッド・クーペ(1954年)の吉田さんは第4回コッパ ディ京都の優勝者だ。
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オースチン・ヒーレ-3000 Mk-1(1960年)の山本さんはクラスD(1956〜1965年まで)の1位だった。
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シボレー・コルベットC3(1969年)はヒルクライムで、軽々とベスト3のタイムを叩き出した。
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今回最もコニサーたちの注目を浴びたのは世界的に希少なるシムカ・アバルト1150SS(1963年)。
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大阪から参加したMG A(1962年)が、海とワインディングを楽しめる丹後半島の快速路を気持ち良く駆け巡る。
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シアタ750S(1950年)は昔とった杵柄で、ここでも750ccクラスで最速となる記録を残してきた。
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オースチン7(1929年)ベースのレーサーに、親子でご参加。コドライバーを務めた娘さんの笑顔が素敵だった。
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本物のヴィンテージカーとはベントレーのこと。6 1/2ℓ(1929年)Bクラス(1945年以前)1位を獲得。
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先頭はバンディーニ750Sシルッロ(1951年)。2日目のスタンプ・ポイント、丹後王国「食の都」にて。
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丹後王国「食の都」には、さまざまな施設(ホテルも)がある、美しい公園のような「道の駅」である。
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このコンパクトなベルリネッタは、フィアット508Sバリッラのクーペ。レース用に造られたモデルだ。
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アルファ・ロメオ・ジュリッタは排気量を1600ccに拡大してジュリアとなった。これは1962年型。
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フィアット1200TVトラスフォルマビーレ(1959年)は、ピッコロ・アメリカーナの趣があるオープンカー。
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戦後のTC、TD、TFのシリーズの起源となったのが、このMG TA(1937年)で、OHV4気筒1292ccとなった。
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岡崎の京都市美術館にゴール! 1964年のポルシェ356SCは、地元のベテラン越智さん。これまでもコッパ ディ 小海で好成績を記録している。
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名古屋から参加の1956年のポルシェ356スピードスター。もともとアメリカからの要望で開発されたモデルだけに、アメリカンな装いが正しい。
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1967年型アルファ・ロメオ・ジュリアGTヴェローチェ。ベルトーネ在籍時のジウジアーロの名作であり、2ドアの箱車の傑作だろう。
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クラスBは1945年以前に製作されたクルマ、つまり戦前車だ。レース用とはいえども、排気量の小さなオースチン7で、見事クラス3位を獲得した水嶋啓一さんと水嶋里菜さん。
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総合2位は磯部光伸さんと鶴巻裕士さん組。今回はヒルクライムとPC競技を合わせた総合成績のベスト3には、アルド・マガダ社長からゼニスの時計が贈られた。
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そして、6回目となるコッパ ディ 京都で見事優勝を勝ち取ったのは、今回一番古い参加車両であるブガッティT13ブレシアで挑んだ上島孝行さんと上島美佳さんだった。