text & photo : Kunio Okada(岡田邦雄)
従野孝司はマツダ最後のワークス・ドライバーとして、ロータリー・エンジンの神話を創ったレーサーだ。 RX3サバンナでスカイラインを打ち破り、またロータリー・エンジンを搭載したマーチでグラチャンから耐久レースまでおびただしい数の優勝を記録した。マツダのル・マン24時間レースへの挑戦でも、大きな役割を果たしてきた。その従野孝司が初めてヒストリックカー・レースを主催して開催の運びとなった。
当日は、ヒストリック・フォーミュラ・レジスターの監修による葉巻型のF3、および日本のコンストラクターによって造られたFLという、ふたつのカテゴリーでの単座フォーミュラカーのレースが注目を集めた。そして高尾サンデーミーティングとSHCC、コッパ・セリエの共同企画によるヒストリック・スポーツカ−&ツーリングカーのレースとタイム・アタック、という充実した内容で、熱心な愛好家たちにとってはこの上ないヒストリックカーの祭典となった。
またEVの走行会も行われるという密度の濃い内容で、1日のうちに全部のカテゴリーごとに練習走行、予選、決勝が行われたが、3人ほどの女性スタッフの能力が高くてきぱきと予定どおりに進行した。
おおきなサプライズとしては童夢P-2とマクランサがその姿を現し、サーキットで走行したことだ。おそらく観衆の前でP-2が走る機会は、以前ツインリンクもてぎに姿を現して以来、2度目のことではないだろうか。
台風が近づいてくる最中の開催だったが、ほとんど雨は降らず最後のスポーツ走行のときにちょっとぱらついたくらいだったから、主催者や参加者の日頃の行いが、よっぽど良かったに違いない。
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1978年のジュネーブ自動車ショーに突然現れて、世界中から注目された童夢~零だ。その生産型プロトタイプとなるのがこのP-2だ。
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林みのるが最初に手掛けたのがカラスで19歳の時。コンストラクターとして初めて生産したのがマクランサで、その10年後に童夢P-2が登場する。
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コリン・チャプマンは学生時にオースチン7を改造し最初のロータスを作り10年後に7やエリートを生み出す。童夢はロータスの史実を想起させる。
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ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリBBなどは、普通の乗用車と変わらないドライビング・ポジションで快適ですらあるが、童夢P-2はプロトタイプゆえかレーシングカー的だ。
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マクランサと童夢P-2がサーキットをコンボイで走る姿は滅多に見かけるものではないだろう。この2台の間には10年の歳月が横たわっているが、設計思想には連続性があるようだ。
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童夢P-2の車高は990mmと1mを切る低さである。イタリアのスーパーカーより、イギリスのロータス・エスプリあたりをライバルとして想定していたと思われる。
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この時代のスポーツカーはノーズが低く、スタイリング的にもリトラクタブル・ライトが必須だった。
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車高が低いゆえに、車幅は広く見えるが、実際には1770mmと現在の目で見ると決して広くはない。
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マクランサは軽量化と空力性能の改善により、ホンダS800のポテンシャルをより引き上げた。
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ロータス初のミッドシップ・レーシングカーが18だ。基本的に同じフレームでエンジンを載せ換えFJ、F2、F1に対応した。角ばったボディ・スタイルは同時期のロータス7に共通する。
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ロータス31は、1961年に登場した20の系列で、1962年の22、1963年の27に続く1964年シーズン用F3。この年からFJはエンジンの改造度によって、F3クラスとF2に分けられた。
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ゴールド・リーフカラーのロータス59を運んできたのは、同じゴールド・リーフカラーに塗られたトランスポーター。大人の遊びだからこそ、ここまで本気で拘るのがまた楽しい。
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グリッドにつくFJとF3。2台のロータス59の間に割って入ったのは、ウィンケルマン パリッシャーWDF1。
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ロータス41とロータス31のランデブー走行。41は1966年からF3に投入。FB仕様やF2仕様も造られた。
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タイタンMk3とロータス51Aのバトル。51は登竜門用のレースとして企画されたフォーミュラ・フォード仕様。
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FLは軽自動車のエンジンを搭載した日本企画のフォーミュラ。林みのるの従兄である林将一は関西のコンストラクターとして、ポテンシャルの高いFLを開発した。こちらはハヤシ706H。
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1970年代はFLを製作するレーシング・コンストラクターが数多く生まれた。ベルコ、アロー、ファルコン、KS…etc。このFLマシンはアドバンスド・デザインAD305。
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レーシング・クオータリーも、日本のコンストラクターの草分け。このアウグスタMk2は、EVAで名を上げた三村健治のデザインで、商品としての完成度も高かった。
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アドバンスド・デザインAD305の後ろ姿。ホンダ・エンジンの搭載位置とツイン・エグゾーストがカッコいい。
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エバで経験を積み、ハヤシで702を開発。名メカニックとしても誉れ高い鴻池庸禎氏が手掛けたKS07。
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鈴木板金という車体製造の専門工場から生まれたのがベルコ。脆弱な造りのFLも多いなかで抜群の完成度だった。
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今回の女性レーサーはミニに乗るモモヨさんと、フィアット600で参加したアイコさんの2名だった。
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好タイムを記録した佐々木さんのアルファ・ロメオ2000GTVは、Am風にモディファイされた迫力ある仕様。
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サーキットでなくても珍しい存在のダッチ・ダートは、彫刻的なボディ・スタイルも魅力的だった。
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当時新車で日本に輸入されたコルチナ・ロータスは、貴重なことに登録番号も当時のままだ。
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雨のなかでも果敢にラップ・タイムを刻んでいったアルファ・ロメオ・スパイダー。
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大阪から自走で走ってきて、サーキット走行を楽しんで、また自走で帰って行ったフィアット500。