The Muscle cars —AMERICAN V8の世界へようこそ、強く美しかったマッスルカーたち—

2017.02.11〜04.23

text:Kunioo Okada (岡田邦雄) photo:Makoto Hirou (廣井 誠)

 
20世紀のアメリカは、自動車による新しい社会を現出し、その頂点が1970年ごろだった。ある意味ではこの時代のアメリカ車こそが20世紀のアメリカ文化を象徴する存在ではないだろうか。

フォードによって先鞭を告げられたV8エンジンは、第2次世界大戦後には、各社によって、こぞって開発された。キャディラック、オールズモビルのような高級車から始まり、1955年にはシボレーも採用して各社出揃った。戦前のV8はサイドバルブだったが、戦後のV8はおしなべてOHVを採用した。部品点数も少なくコンパクトながら大排気量で馬力もトルクも増大し、しかも耐久性の高いアメリカンV8が生まれたのだ。ところで、アメリカ車はどんどん巨大化していった。広大な土地と広い道、無尽蔵と思われた石油。パックス・アメリカーナと呼ばれた、アメリカが最もアメリカであることを謳歌した時代だった。アメリカには何の悩みもなかった。

アメリカの生産車によるストックカー・レースはNASCARによる選手権が人気を集めていた。ダッジ・チャージャーやプリマス・フューリーやフォード・フェアレーンなどフルサイズのボディに最も大きな排気量のエンジンを搭載したクルマたちが、バンクのあるオーヴァル・コースでスピードを競い合うレースで、史上最速のツーリングカーレースだった。フォードGT40の最も強力なモデルもフェアレーンのエンジンを搭載していた。実際、NASCARは自動車で行うプロレスリングやフットボールといった趣だったから、マッスルカーという呼称にふさわしかった。

GM、フォード、クライスラーらビッグ3とは違うニッチなマーケットを狙うしかなかったアメリカン・モータースはやや小さなボディのクルマを作っていた。やがて、新しい感性を持つ戦後世代の若者たちには、やや小型のクルマのほうが in(粋とでも訳しておこうか)であると思われた。そういった感性の転換に敏感に反応して生まれたのが、シヴォレー・コーヴェアであり、マスタングであり、カマロであった。またビッグ3と呼ばれていてもクライスラーはまた独自の考え方を持ち、ダッジにしてもプリマスにしても、他社同クラスと比べて、よりスポーティーな志向が強く、ダッジ・チャレンジャーやプリマス・バラクーダは高性能なHEMIエンジンを売り物にした。こうして、やや小さなボディに強力なエンジンを搭載したクルマたちが生まれていった。

またSCCAによるTrans-Amシリーズも始まり、排気量が5ℓまでと制限されたなかで、マスタングやカマロ、アメリカン・モータースのジャベリンなどが活躍した。こういったレースで活躍したやや小ぶりな(子馬を意味するポニーカーとも呼ばれた)ボディに強力なエンジンを押し込んだスペシャル・モデルも生まれた。むしろフルサイズよりもフットワークも軽いぶん、高性能を発揮しやすそうなクルマたちであった。ともあれ、それらはいつしかマッスルカーと呼ばれるようになった。

その頃のCan-Amレースにはフェラーリポルシェがレーシング・エンジンを搭載したワークスで開発したクルマを参加させたが、生産車のブロックを持つシボレ-V8エンジンに勝つことはできなかった。ヨーロッパでも、フォードGT40はフェラーリを打ち負かし、シボレーを積むシャパラルもニュルブルクリングを制覇した。イタリア国内からもフェラーリを打倒しようとする新興のスーパーカーメーカーは、こぞってアメリカンV8のエンジンを搭載したものだ。’70年には、アメリカンV8エンジンが史上最強のエンジンだった、と言ってもいいほどではないだろうか?

しかし、時代は変わる。アメリカもベトナム戦争の後遺症や社会の矛盾に苦しむようになり、単純なカウボーイではいられなくなってきた。またクルマ社会の病巣も明らかになり、やがて恐竜が消えたように巨大なアメリカ車も滅びていき、かつてのような世界に君臨するようなクルマは息絶えてしまったのだった。

今回のアウトガレリア・ルーチェの企画展では、’60年代後半から’70年代初頭に輝きを放ったマッスルカーたちにスポットを当てている。会場にはマッスルカーを代表する存在である1973年型フォード・マスタング・マッハ1、1968年型シボレー・カマロ350、コブラの毒が注入された1966年型シェルビーGT350、クライスラーは1968年型ダッジ・チャージャーR/T、そして最後を締め括った1971年型ポンテック・ファイアーバード・トランザムの5台を展示。かって世界で最もパワフルで、最もスタイリッシュだった、アメリカのマッスルカーの魅力と神髄を実感できるイベントだ。

  • フォードはマスタングの販促としてレース参戦を決意しシェルビー・アメリカンに開発を依頼。車両公認に必要な100台以上の市販車で、レースにそのまま適応出来るマシンとして誕生したのがシェルビーGT350だった。

  • シェルビーGT350はマスタングのファストバック・モデルをベースに軽量化が施され、LSDの装着やサスペンションの強化に加え、通常271psの289ユニットは310psを発揮する高回転仕様へとチューンが施されたのが特徴だ。

  • カタチはマスタングだが、その中身は289コブラの血を濃く受け継ぐ。ボディのストライプはコブラでおなじみのブルーとされ、リヤパネルの中央に付けられたコブラのバッジが、その生まれとパフォーマンスを主張する。

  • 1964年登場したフォード・マスタングは4ヶ月で10万台を販売し、ポニーカーというマーケットを確立してしまう程の人気だった。ライバルのGMはマスタングの対抗馬として、1966年に2ドアクーぺのカマロを発表した。

  • カマロはクーペとコンバーチブルのボディタイプが用意され、直列6気筒とV型8気筒のOHVユニットが設定された。グレードはRS、SSとホモロゲーション・モデルとしてハイ・パフォーマンスのZ28が用意された。

  • カマロZ28はSCCA主催のトランス・アメリカン・セダン・チャンピオンシップ用のホモロゲーション・モデルとして開発された。レースでもマスタングと覇を争い、1969年にレース用に開発したZL-1でチャンピオンを獲得した。

  • 人気を博したフォードやGMのポニーカーは、ボディの大型化や高出力化に伴いマッスルカーと呼ばれるようなっていった。ライバルの後塵を拝していたクライスラーは、ダッチ・チャージャーを1966年に市場に送り込んだ。

  • グレードのすべてがV8ユニットを使用しており、最上級モデルには400psを超えるパワーを発揮するレース用のHEMIヘッドを備える426ユニットを搭載したストリート・バージョンが設定された。

  • 1967年になると7206ccの440HEMIユニットを搭載する、究極のチャージャーといえるR/Tが登場した。強力なエンジンと空力に優れたスタイリッシュなボディを生かしてNASCARでも活躍した。

  • 1967年になるとGMはカマロに続き、ポンティアック・ブランドのポニーカーとして初代ファイヤーバードを市場に送り込んだ。プラットフォームはカマロと共通であるもののエンジンや足廻りで差別化が図られた。

  • 1969年にはハンドリング・パッケージとしてトランザムが設定された。翌年には第二世代が登場した。1971年のトランザムには7462ccのH.O.455ユニットが搭載され、500ps以上を発揮出来る様に設計されていた。

  • 今回のマッスル展に展示されているポンティアック・ファイヤーバードは、ポンティアック東急が正規販売したディラー車であり、フルオプション装備のサバイバー車として国内に残る数少ない貴重な個体である。

  • マスタングはスポーティな外観、高性能かつ低価格を実現する中型車として開発された。1969年に登場した2代目はファストバックの名称をスポーツルーフに変更し、ハイパワーモデルにMach1が設定された。

  • マスタングはこの新たなジャンルを切り開き、対抗馬となるモデルが他社から次々と登場した。これらのクルマは当初ポニーカーと称されたが、ハイパワー化によりマッスルカーと呼ばれるようになった。

  • 来る’70年代は夢の時代となり、クルマの世界でもより斬新なスタイリングが取り入れられた。2代目はよりスタイリッシュなデザインとされ、日本のスペシャリティカーのデザインにも多大な影響を与えた。

  • 会場の壁面には当時のポップなイラストが来場者を出迎えてくれる。

  • マッスルカーのオフィシャル写真や、当時の記事、広告なども掲示。

  • プロモーションのモデルカーやカタログ、ホットウィールも展示される。

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