スティーブ・マックイーンが最初のオーナーだったフェラーリ・ベルリネッタ
公開 : 2017.03.19 08:00 更新 : 2017.05.29 18:52
マックィーンがかつて所有したこの275GTB/4の現オーナーは、過去に行われた改造に腹を立て、歴代のオーナーたちから信頼できる記録を収集。オリジナルに忠実なレストアを行うべく、狂信的とも言うべき綿密な計画を立てた。
このクルマがスティーブ・マックィーンに届けられたのは、彼が『ブリット』や『華麗なる賭け』を撮影していた1967年のことだ。ボディカラーはゴールドメタリック系の“ノッチオーラ”、内装はブラックだった。実際には『ブリット』の撮影用にフォード・マスタングを準備した、リー・ブラウンがクルマを受け取った。マックィーンはすでに275GTB/4のNART(米国向けに10台だけ生産されたスパイダー)を持っていたが、それをクラッシュさせてしまい、ブラウンのワークショップに預けていた。その隣りに新車のGTB/4が届いたのである。
マックィーンは早速、ボディの塗り替えと若干の改造をブラウンに依頼した。ボディカラーはブラウンとキャンティレッドを混ぜたような深いマルーンになり、カンパニョーロのホイールはNARTに付いていたボラーニのワイヤーホイールに交換。特製のミラーや格納式のアンテナを取り付けた他、シートはドラッグレースの第一人者であるトニー・ナンシーのショップで張り替えた。「マックィーンは当時、NARTをクラッシュさせて落ち込んでいた」とブラウンは振り返る。「それでも彼は、またフェラーリに乗りたいと切望したのだ」
ハリウッド・スポーツカーズという輸入車ディーラーの経営者だったチック・ヴァンダグリフが、マックィーンのために275GTB/4を輸入した。その息子で、ヒストリック・モータースポーツ・アソシエーションの会長を務めるクリス・ヴァンダグリフは、こう述懐する。「マックィーンは父の良い友人で、しばしば父の店に来ては時間をつぶしていた。運転は荒っぽかったけれど、クルマに対する敬意を持っている人だった」
その後、マックィーンの275GTB/4はジュニア・コンウェイが面倒を見るようになり、1971年にガイ・ウィリアムズに売却された。『ゾロ』や『宇宙家族ロビンソン』で知られる俳優だ。ウィリアムズはボディカラーを鮮やかなレッドに再塗装し、76年まで所有した。ウィリアムズの息子のスティーブ・キャタラーノは当時まだ10代だったが、洗車して父から小遣いもらうだけでなく、運転することも許されていた。「あのクルマのおかげでマックィーンに会うことができた。彼は『あぁ、覚えているよ。このクルマではとことん楽しんだね』と語っていた」という。
コンウェイは塗装の達人で、高名なカスタマイザーのジョージ・バリスから信頼される腕前だ。マックィーンの愛車も長年にわたって塗装の補修を手掛けていた。275GTB/4がフロントを壊して彼のショップに入庫してきたときのことを、彼は「小さな事故だった」と振り返りつつ、その頃からクルマが傷み始めていたことを認める。「今にして思えば、マックィーンの運転はハードすぎたのだろう。彼はワイヤーホイールを壊し、ソリッドホイールに交換せざるを得なかった」とコンウェイ。
ガイ・ウィリアムズの次にオーナーになったのはJPハイアンだが、リヤエンドをぶつけた後は塗装を剥がした状態でコンウェイのショップに放置。1980年10月にトラック運送業界の大物、ロバート・パネッラがそれを3万2000ドルで買い取った。パネッラはコーチビルダーのリチャード・ストラマンに1万ドルを払ってNART仕様のスパイダーに改造すると共に、コンウェイに頼んでボディカラーを黄色に塗り替えた。ひどい話と言うなかれ。スカリエッティ製のクーペをスパイダーに改造できたのは当時ストラマンだけであり、結果としてオリジナルのNARTに次ぐ評価を得たのだ。
パネッラは16年にわたってこのクルマを保有。続いてアンドリュー・ピスカーの手元にあった9年間に、ボディカラーがシルバーに再塗装された。そしてオーストラリアのヨットマンでヒストリックカー・レーサーでもあるピーター・ハルバーグが買い取り、2010年に履歴を調査するためマラネッロに送付。クルマがマラネッロにあるとき、ハルバーグの友人である現オーナーが譲り受け、8万8000ユーロ(約1150万円)をかけてスパイダーからオリジナルのクーペに復元するレストアを行ったのである。