フェラーリ初のスーパーカー、ベルリネッタボクサー その実力は
公開 : 2017.04.01 11:31 更新 : 2017.05.29 18:52
フェラーリのミドシップ・スポーツ、ベルリネッタボクサーの登場は、ライバルのランボルギーニがミウラをデビューさせてから7年後のことでした。フェラーリ初のスーパーカーといっても過言ではないベルリネッタボクサー、その実力を今、検証してみましょう。(姉妹サイト、CLASSIC & SPORTSCARより転載)
ミウラに対するフェラーリの回答
フェラーリは、スーパーカーの流行によってチャンスを逃しかけたという見方は外れてはいない。ランボルギーニがミウラで脚光を浴びている間、マラネロはフロントにエンジンを搭載し、1968年にパリサロンで発表した365GTB/4(あるいはデイトナと言った方がわかりやすいかもしれない)にこだわった。これは、素晴らしいグランドツアラーだったものの、一部の批評家によると、ミウラの斬新なミドシップと比べるといささか古臭かった。
エンツォは、もちろん、市場をがっちりと握っており、チャンスを逃すことはめったになかった。1970年代初頭におけるフェラーリの息をのむようなフォーミュラワン・カーは、水平対向エンジンを搭載し、また、1972年の世界メイクス選手権で優勝した312Pスポーツプロトタイプも同様であり、そうしたクルマたちが、同社の最初の本格的スーパーカーを予感させた。
1971年のトリノ・ショーで発表した新世代のフラッグシップ
フェラーリは1971年のトリノ・ショーでの新世代のフラッグシップを発表した。365GT4ベルリネッタ・ボクサーは、動力である水平12気筒エンジンからその名を取っているものの、このエンジンは、実際には、180度V型12気筒エンジンであり、対向するピストンが反対方向ではなく同一方向に移動し、コンロッドがクランクピンを共有していた。また、ロッドその他の部品も同排気量のV12と交換可能だった。
エンジンの後ろにミッションを置いた一人乗りの(ボクサープロトタイプのような)プラクティスモデルとは異なり、スペースの制約から、トランスアクスルとサンプを並べ、しかも僅かにずらしてエンジンの下に据えつけるしかなかった。これは、アセンブリーの背後にある3つのピニオンを降下させることで駆動した。
プロダクションモデルのボクサーは1973年のパリでデビューした。ボクサーには、ミウラのような八方美人的な華麗さが欠けていたかもしれないものの、筆者は、ディーノのスタイリングに受け継がれ、次の10年間、新鮮さを失わなかったフェラーリの美しくバランスのとれた形状の方がきれいだと感じる。ピニンファリーナのシニア・デザイナー、レオナルド・フィオラバンティによるデイトナに似たスタイルは、ひたむきな機能を優雅さの衣で覆っていると言える。ボディの特徴的なマットブラックの下半分は、ミウラのボディ下部にある銀色のシルとほぼ同様、側面の深さを巧みに覆い隠している。
それは正確にはコンポジット材ではなかったものの、BBは、様々な軽量素材を使ったシェルでチューブラースペースフレームシャシーを覆っていた。巨大なフロント、そしてウィングを組み込んだヒンジで開くリアセクションはドアの外板と同様にアルミニウム製、クォーターパネルは鉄製、バンパーは強化樹脂製である。
BB、そのコクピットに乗り込む
乗り込むのは容易ではなかったものの、背もたれ角が固定されたバケットシートに座れば、実に快適だ。キュービズム風のユニークなダッシュボードは太いオレンジ色の針のヴェリア製のメーターを備えている。スピードメーターとレブカウンターが中央にある水温計と油圧計を左右に挟み、補助的な計器がその外側に配置されている。
トリプルチョークのダウンドラフトのウェーバー製4連キャブで水平対向12気筒に燃料を供給する正真正銘のフェラーリだけに、発進する前に、期待に違わずちょっとしたパフォーマンスを楽しめる。電動ポンプの電源を入れ、アクセルを数回踏み、すべてのプラグが点火するまでイグニッションキーを回した後、ドライビングシートでエンジン・サウンドのコーラスに聞き惚れる。数分ほど喉払いをすれば、準備万端だ。