ウェッジシェイプ・デザインの色褪せない魅力 2台のロータス・エスプリに乗る
公開 : 2017.04.15 00:00 更新 : 2017.05.29 19:24
今のレベルでも充分速いコーナリング
ギアボックスは、インダイレクト・ロッドとケーブルを使っているにしては、その明確さに驚かされる。低速走行時には、ワイドなトレッドを持つため、ステアリングでボディの動きを抑え込まなければならない、ある意味ロータスのトレード・マークとも言えるフィーリングが味わえる。しかし、スピードを上げると、まったく違った姿が見えてくる。コーナーを2つか3つクリアして、このクルマのグリップ力が信頼できるようになれば、尖った鼻先をインに切り込み、スロットルを踏み込む直前のギリギリまでブレーキのタイミングを遅らせられるような芸当も可能となる。限界状態ではアンダーステアが顔を出すが、現代の90%以上のクルマよりも早くコーナーに回り込んでいく。
発売当初は売れ行きが芳しくなかったが、リアのクォーター・ウインドウの後ろに個性的な‘耳’を付けて冷却を改善し、フロント・スポイラーのデザインを直して向かい風の時の安定性を強化したエスプリS2が1978年に発売されると、徐々に売上は伸びていった。S2.2では排気量が2174ccに拡大され、出力は以前と同じながらトルクが22.1kg-mまで強化され、また初めて亜鉛メッキのシャシーが採用された。81年にはノーマル・アスピレーションのS3に、より強力で耐久性に優れたエセックス・ターボに採用されたシャシーと新設計のトップリンク・サスペンションが用いられ、快適さとハンドリングが改善された。
このエスプリS3とエスプリ・ターボの量産によってロータスのその後6年間の売上の基盤が固められたと言って良い。お陰でロータスは、創業者チャプマンの逝去とその後に待ち受けた実質オーナーの様々な変化を乗り切ることができた。その後も改善し続けられたエスプリの後期モデルは、品質に関して初期モデルとはまったく異なったと言って良いほど洗練されたモデルとなり、10年以上販売し続けられ、性能もこれまで以上に強化されたが、それでもエスプリはライバルたちと比較すると徐々にその競争力を失い始めた。いや、むしろ、失う必要があったというべきかもしれない。時代と共に人の好みは変化していくものだが、景気が低迷してきた時代であり、男が大きなメダルをチェーンで首から吊り下げいる様なファッションが好まれている時代に、エスプリのシャープなラインは、ファンキーなディスコで踊りまくった70年代の頃の雰囲気を濃厚に引きずったようなものだった。
スタイルの簡素化が狙いだった2代目
当時、ロータスのスタイリング担当のチーフ・デザイナーであったピーター・スティーブンスはこう語った。「エスプリが時代遅れに見えるのは明らかで、それに伴い売上も落ちていった。新しいクルマを開発する必要があった。だが、ロータスでは毎度のことだが、シャシーを大幅にアップデートするのに必要な資金がなかったのだ。ジウジアーロがデザインした最初のモーターショー向けモデルは素晴らしいと思った。とてもシンプルで、無駄な飾りなどまったくない。しかし、ロータスに戻されたときには、反り返ったスポイラーなど無駄なものが付けられ、ややうるさいデザインになってしまっていた。ニュー・モデルは、最初の狙いどおりにスタイルを簡素化する機会になると思ったんだ」
X-180というコード・ネームで呼ばれたこのニュー・モデルには、よりハイ・クオリティなグラスファイバー・パネルを素早く生産する新たな真空補助樹脂射出プロセス(VARI)が採用された。スティーブンスがボディ上部と下部の重複接合部分にエポキシ化合物の構造用接着剤を採用したことで、「オリジナルで気に入らなかった継ぎ目の部分」を隠すこともできた。
Cd値0.33をちゃんと達成
こうして、80年代に溶け込む、よりソフトなプロフィールを持つニュー・モデルが完成した。「当初、ボディに関しては変更できる部分がとても限定されていた。フロント・ガラスにはオリジナルと同じ真っ平らなガラスを使う予定だったが、少しカーブさせた方がずっと良くなるとマイク・キンバーリーを説得した。またオリジナルを風洞でテストしてみると、Cd値が実際にはなんと0.44もあることが分かった。空力特性の数値を、エンジニアリング部門ではなく、マーケティング部門が決めていたからだ。そこで、当初の公表値にできるだけ近づけることが、私の課題になった。なんとか苦労して0.33のCd値を達成したのだが、驚くことにマーケティング部門には『それじゃ前と変わらない』と言われた」