創始者フェルッチオ・ランボルギーニのカウンタック
公開 : 2017.04.16 00:00 更新 : 2017.05.29 19:21
アグレッシブになったLP400S
この第1世代のLP400は、78年まで生産されて、LP400Sにバトンタッチされた。ちょうど会社が難しい時期を迎えていた頃だ。次から次へと資金難に見舞われ、75年には忠実なエンジニアだったパオロ・スタンツァーニと故ボブ・ウォレスが去っていった。BMWからM1の生産を請け負うことで経営再建を図ったものの、BMWは(おそらくは賢明なことに)サンタアガタの実力を疑ってこの契約を破棄。そんな不穏な状況のなか、カナダの石油王のウォルター・ウルフが改造したカウンタックがファクトリー・モデルに影響を与え、スタンツァーニの師匠であるジャン・パオロ・ダラーラの監督下で開発されたのがLP400Sであった。
オリジナルのLP400が前後共に215/70VR14のタイアを履くのに対し、当時の最新技術を込めたLP400Sは345/35ZR15という超扁平サイズのピレリP7をリアに採用。それに伴ってオーバーフェンダーが追加され、この新しい高性能タイアの利点を引き出すべくサスペンション・ジオメトリーも修正された。例えば、よりワイドなステアリング・ラックや短いタイロッド、バンプステアを低減するために新設計されたステアリング・ジョイントなどだ。LP400Sの大きなリア・ウイングも、ウォルター・ウルフのカウンタックに影響された変更点である。
このLP400Sはシリーズ1から3まであり、78〜82年に計238台生産された。シリーズ3では室内空間を広げるために全高を30mm上げたが、シリーズ1とシリーズ2の違いは細かいディテールに限られる。フェルッチオのカウンタックは105台生産されたシリーズ2のうちの1台。ブレーキ冷却孔を美しくデザインしたカンパニョーロのディッシュ型アロイ・ホイールを履いている。
LP400のピュアなデザインを好む人もいるだろうが、LP400Sのアグレッシブなデザインが、開いた口が塞がらないほど凄いものであるかどうかは議論の余地がある。確かに個々のスタイリング・ディテールは大袈裟に見えるとはいえ、全体としては大きなクルマではない。リアの眺めはアグレッシブの一語。後輪に力を込めたクラウチング姿勢であり、まるでタイアとエキゾースト・パイプしか見えないかのようなスタイルだ。
サイド・ビューも同じで、低いノーズからウインド・シールドの頂点までほとんど一直線。戦後の偉大な自動車漫画家、ラッセル・ブロックバンクが描いた一節が思い出される。クラシックカーとカウンタックが正面衝突したが、クラシックカーがカウンタックのフロントに乗り上げただけでお互いに無傷だった……というお話である。
フェルッチオの甥、ファビオがお出迎え
そろそろサンタアガタの工場を出て試乗に向かおうかというとき、ファビオ・ランボルギーニが現れた。フェルッチオの甥で、ランボルギーニ家のミュージアムの館長でもある彼は、どこから見てもイタリア紳士だ。青いブレザーに白いパンツを完璧に着こなしている。微笑みのなかにカリスマ性を静かに漂わせながら、「このクルマに相応しい場所に、ご案内しましょう」。目指すのは、サンタアガタの北東20kmほどにあるチェント。フェルッチオが生まれ育ち、最初にトラクター工場を作った町である。
サイドのエア・インテークのなかにあるボタンを押すと、お馴染みの「シザー・ドア」がスムーズに立ち上がる。これはドラマチックだが、それに続くコクピットに乗り込むプロセスは、いささかみっともないことになりかねない。まず背中をシートに向けながら、革張りの広いサイド・シルを超えて身体を滑り込ませる。そしてわかったのは、降りるほうがもっと大変だということ。私は何度やってもベストな降り方を見出すことができなかった。
いったんシートに収まってしまえば、快適さはあなたの体格次第である。私は問題なく座れたが、身長が180cm近い人にとってはちょっと厄介だろうし、もっと背が高い人は窮屈に思うはずだ。ドアが内側に強く傾いているために、私でさえ頭まわりのスペースに余裕はない。
バックレストの傾斜が強めだが、サポート性は素晴らしい。ドライビング・ポジションはミウラより良好だ。平面と直線を組み合わせたインテリアの眺めはいかにも70年代的である。メーターはひとつのパネルに集約されており、中央に位置するのがスピードとレヴ・カウンター。後者は7000rpmからイエロー・ゾーンで、8000rpmからレッド・ラインだ。それらの左側に電流計と油温計、右側に水温計と燃料計が配置されている。