メルセデス300SLR 圧倒的なパワー、栄光に彩られたストーリーを紐解く

公開 : 2017.04.29 00:00  更新 : 2017.05.13 12:48

ル・マン撤退後の300SLR

次の遠征は、ほぼ2ヶ月後、8月7日のスウェーデンGPだった。そこでも、ファンジオとモスが、それぞれ、いずれもル・マンで使ったエア・ブレーキを装備した3号車、4号車に乗り、レースの花形となった。その一方で、カール・クリングは、ミッレ・ミリアで使い、修理を終えた5号車に乗った。クリスチャンスタードの幅の狭いサーキットで息をのむような高速レースが繰り広げられた。SLRが240km/hで駆け抜けていく。ル・マンでと同様、ここでもエア・ブレーキが威力を発揮し、コーナーに進入する際に他のクルマよりもかなり有利になった。モスは、プラクティスでは最速だった。さらに、モスもファンジオも、ウーレンハウトがはるばる本社のあるシュトゥットガルトから運転してきたSLRのクーペ・タイプを試した。SLRクーペも、オープン・タイプに遜色のないラップ・タイムを叩き出した。その時のエピソードとして、ノイバウアーがパスを忘れたため、ピットに入るのをマーシャル(レース委員)に拒否されるという一幕があった。メルセデス・チームとしては、マーシャルの態度を軟化させるために、ドイツ大使に頼らざるを得なかったため、これがちょっとした外交的事件に発展した。ファンジオとモスは、ル・マン・スタイルのスタートからスピードに乗ったが、2人の1-2フォーメーションが非常に近接していたため、ファンジオの跳ね上げた石がモスのゴーグルに激突し、モスが目を切ったほどだった。モスは、ケガをしたにもかかわらず、エア・ブレーキを巧みに操り、尊敬するチーム・リーダー、ファンジオの後方わずか0.3秒のポジションをキープした。

アイフェル・レースの勝利者はファン・マヌエル・ファンジオだったが、最速のラップ・タイムを叩き出したのはモスだった。


9月17日に行われ、北アイルランドのRACツーリスト・トロフィーでも、メルセデス・チームの快進撃は続き、モスとナビゲーター、フィッチが優勝した。モスは90秒先行していたが、コース・アウトした挙句、ヘッジ(垣根)を強打し、ボディが引き裂かれた後、パンクしたタイヤでピットインしなければならなかった。ジャガーのホーソーンに追い抜かれたものの、雨が降り始めた後で、モスが主導権を取り戻した。モスは、メルセデス勢の先頭に立ち、5号車に乗るファンジオ/クリング組が2位、ウェールズのフォン・トリップス/アンドレ・サイモン組が3位に輝き、メルセデス勢が3位までを独占した。このRACツーリスト・トロフィーでは、3名のドライバーが死亡し、また有名なフランス人ドライバー、ジャン・ベーラが重傷を負った。こうした事故が、メルセデス勢の快挙に影を落としているのは残念だ。

1955年のマニュファクチャラーズ選手権を獲得

GPにおける栄冠に匹敵するマニュファクチャラーズ選手権で優勝できる可能性が出てきたことから、メルセデス・チームは、国際的なスポーツカー・レースとして最も歴史のあるタルガ・フローリオで、3台のクルマをシチリア島に送った。このレースでも、モス/ピーター・コリンズ組がペースの主導権を握り、ピーター・コリンズが、ナビゲーターとして曲がりくねった山岳コースを走る苦労を分かち合った。モスは、ピットからのスタンディング・スタートで始まるオープニング・ラップでラップレコードを達成した。しかし、この華麗な英国人ペアの猛攻は、ミッレ・ミリアの勝者モスがまたもやコース・アウトした時に、ほぼ暗転しかけた。泥の上で160km/hでスピンした挙げ句、岩に乗り上げてしまったからである。レースに復帰するため、最後は、耕地を横切り、地元の人々の力を借りてクルマを地面に降ろさなければならなかった。不運が続いたメルセデス陣営は、一時期1位も2位も譲り渡したものの、ドライバーがコリンズに代わると猛然と追い上げた。モスは、最後の交替後、コース・アウトを埋め合わせるように、再度、100km/hという圧倒的なラップ・タイムにより首位を奪回した。この英国人スーパースターのコンビは、9時間43分後、記録的な平均95.7km/hで優勝し、これに4分以上遅れる形でクリングと組んだファンジオが2位、デズモンド・ティタリントン/フィッチ組が4位につけた。

目の前を駆け抜けるファンジオ、モス、そしてクリングのエグソースト・ノートを想像して欲しい。


これによって、メルセデス・チームは、ブエノスアイレスやセブリングに出走せず、ル・マンから撤退していたにもかかわらず、フェラーリとわずか1点の差でマニュファクチャラーズ選手権をなんとか制した。不運に見舞われることの多かった55年シーズンの立役者は、紛れもなくモスであり、この時代最高のレーシング・マシンを駆り、3回優勝したことが、この結果に貢献した。その後、いかなるワークス・チームも、1シーズンのグランプリとスポーツカーレースの双方でこれだけの存在感を示した例はない。こうして、技術的に優れ、途方もなく速く、勇壮なエグゾストサウンドを轟かせる最高のレーシング・マシン、300SLRの色褪せることのない伝説が始まった。


メルセデス・ベンツ300SLR

生産期間 1955年
生産台数 9台
車体構造 スペース・フレーム
エンジン形式 直列8気筒DOHCデスモドロミック2バルブ 2979cc
エンジン配置 フロント
駆動方式 後輪駆動
最高出力 310ps/7500rpm
変速機 5段M/T
全長 4350mm
全幅 1750mm
ホイールベース 2370mm
車両重量 830kg
サスペンション ダブル・ウィッシュボーン / スイング・アクスル
ステアリング パワーアシスト付きラック&ピニオ
ブレーキ インボード・ドラム + エア・ブレーキ

関連テーマ

おすすめ記事

 
最新試乗記

人気記事