ランチア・ストラトスに課せられた至上命題 それは「ラリーで勝つこと」だけだった
公開 : 2017.05.06 12:00
生産台数は498台?
その当時のホモロゲーション要件では、12ヵ月の間に500台を生産する必要があると規定しており、ストラトスが承認を受けたのは1974年10月のことだった。かといって、ランチアが必ずしも500台全てを生産したことを示す証拠はなく、いずれにしてもグループ4の承認要件が後に400台に下方修正された。
記録にもとづいた推計によれば、完成した車両台数はせいぜい498台であり、工場が1978年になってようやくこれらのクルマを売リ始めた。スペシャリストが1979年にかけ、構成部品の形態から組み上げたクルマだった。
ストラダーレではあるが…
今回取り上げる個体は、シャシー番号1595、1976年に組立てられ、当初は緑色に塗装された公道走行用ストラダーレの派生車種だ。その2人目のオーナーはエンツォ・フェラーリの親しい友人だったといわれ、3人目、すなわち現在のオーナーがこのクルマを1986年に買った頃には、黒の塗装の上から現在の赤にスプレーで塗装し直されていた。
長年にわたって使い込まれ、人々が楽しんできたクルマらしい風格が漂っている。ストラトスも、綺麗な状態がなぜか似合わないクルマだ。
ストラダーレ仕様とはいえ、このクルマが誕生した唯一の目的から逸れることはない。長めのドアはそれぞれ6kgの重さしかなく、ソフト・トリムではなく、ハード・パネル仕上げであり、ヘルメットを収納するよう設計された広く深いポケットが備わっている。ウィンドウのレギュレーター・ハンドルなど望むべくもなく、ガラスの昇降はシンプルなダイアルを溝に沿って上下にスライドするだけだ。
ペダルはわずかにクルマの中央部に寄っており、体側の空間が余っているにもかかわらず、ヘッドルーム、特に頭を横方向に動かす空間がないことに違和感を覚える。
また、ステアリング・ホイールとダッシュボードとの位置関係から、レブ・カウンターの高回転域側、すなわち7000rpmから始まる黄色の部分と8000rpmを示す赤い線が見えない。
開発当初はディーノ・ユニットでなかった
買い手が求めるのは有名なディーノV6エンジン搭載モデルだが、フェラーリが1972年後半からこのエンジンを供給することに同意するまで、ランチアは、独自のツインカム「4気筒」エンジン、またマセラティのV6やV8エンジンさえも含む様々なエンジンで開発を進めた。それでも、最後は、フェラーリのエンジンが横方向に設置され、ドロップギアにアクセスし易くなった分、素早く変速できるようになった。
1000kgを切るボディに193psのパワー
今では、この素晴らしいディーノV6エンジンを搭載していないストラトスを想像する方が困難である。ストラダーレ仕様のエンジンの出力は193psに達する(コンペティション用に開発された24バルブのヘッドのエンジンでは、出力が304psに引き上げられている)。193psがそれほど大きな数字に見えないとすれば、1000kgをわずかに切る重量のクルマであることをもう一度思い出して欲しい。