ランチア・ストラトスに課せられた至上命題 それは「ラリーで勝つこと」だけだった
公開 : 2017.05.06 12:00
ストラトスが、1974年、75年、そして76年の3回、WRCで優勝した後、社内政治が原因で、親会社のフィアットが、ランチアのラリー専用カーから自社製131アバルトに活動の重点を移した。それでも、ストラトスは、プライベーターの手で優勝し続けた。
ベルナール・ダルニッシュが、1979年、モンテカルロ・ラリーにおけるストラトスの4度目の優勝を飾り、最後は1981年にツール・ド・コルスで優勝した。結果、合計で82の国際ラリーで勝利を手にした。
ラリーで勝利するためだけが目的
それでも、商業的に見れば、ロードカーとしてのストラトスは失敗作だった。米国の規制に適合しなかったため、米国で、また一部の欧州市場でも販売することができなかった。イタリアでは、ディーノとほぼ同じ価格で販売されたものの、ランチアはその点についてそれほど気にしていなかった。
ランチアは、ラリーで成功することにしか関心がなく、ホモロゲーション目的を越え、利益になるロードカーを生産することは優先課題ではなかった。現在では、もちろん、ストラトスのあらゆるバリエーションが超人気車になっている。
コレクションされるより楽しんでもらうクルマ
「他の多くのクルマの場合と同様、買い手は、あまり手荒に扱われていない、まともで、オリジナルな個体を探しています」と、スペシャリストのウィリアム・イアンソン氏は語る。「多くの個体が金額分の価値のない粉飾されたクルマです。そうした個体は、長い間、ディーノと同程度の金額か、その少し上で推移しています。ですが、私のクルマは正真正銘、ホモロゲーション用の特別な個体であり、最も象徴的なラリーカーの1台です」
「ストラトスは、まさにプロフェッショナルなステージ・ラリー時代の始まりを告げ、ステージ・ラリーの世界でランチアを台頭させ、同社は、そのままステージ・ラリーを席巻するようになりました。私見ですが、ストラトスの値段はもっと高くても良いと思います。まず、ディーノよりも希少性があり、まだ過小評価されていると思います」
「運転してみれば、これほどまで成功した理由がわかると思います。本当にマニアックなクルマであり、その優れた性能を引き出すためには神経を集中させる必要があります」
それによって得られる体験は、神経を集中させ、没入するだけのことはある。正直に言えば、ストラトスは、優しく運転することが想像できないクルマだ。道路のあらゆる直線部分が栄光に満ちたエグゾーストノートに耳を澄ます口実になる。
最近の値段の高騰(ロンドンで最近行われたRMサザビーズのオークションにおいてストラダーレが£30万8000=約4,800万円で落札された)により、さらに多くの個体がコレクションとして退蔵されることがないよう願いたい。
使われ、楽しんでもらうことを切望しているクルマというものがあるとすれば、それがランチア・ストラトスだ。
ランチア・ストラトス
生産期間 | 1974〜1975年 |
生産台数 | 498台 |
車体構造 | センター・モノコック + FRPボディ |
エンジン形式 | V6 DOHC 2418cc |
エンジン配置 | ミドシップ横置き |
駆動方式 | 後輪駆動 |
最高出力 | 190ps/7000rpm |
トランスミッション | 5段M/T |
全長 | 3710mm |
全幅 | 1750mm |
全高 | 1110mm |
ホイールベース | 2180mm |
車両重量 | 980kg |
サスペンション | (前)ダブル・ウィッシュボーン + コイル (後)マクファーソン・ストラット |
ブレーキ | ディスク |
0-97km | 6.2秒 |
最高速度 | 230km/h |
現在中古車価格 | 4000万円〜8000万円 |