活躍せずに終わったグループCのキワモノたち (10位〜6位)
公開 : 2017.05.06 11:00 更新 : 2017.06.01 00:20
第8位 シェブロンB62
創業者のデレック・ベネットが78年に亡くなって数年後、シェブロンはレーサーでエンスージアストのロジャー・アンドリーソンによって買い取られた。B62はアンドリーソン時代のシェブロンが1台だけ作ったC2カー。85年のル・マンでデビューしたが、わずか90分でリタイアした。翌年はプライベーターのジョン・バートレットのドライブで選手権に参戦。しかしモンツァでの初戦を終えてアンドリーソンとバートレットが仲違いし、クルマの所有権を巡って法廷闘争を繰り広げた。以後、国際レベルのレースには出ていない。
第7位 ノーマM6
ノーマの共同創設者であるノルベルト・サントスが、航空機メーカーのアエロスパシアルの協力を得てモノコックを開発。エンジンは当初計画のコスワースに換えて、ガイ・ネグロがF1用に設計したMGNと呼ばれるW型12気筒を搭載する。1990年のル・マンに登場して車検は通ったものの、エンジンが始動せず、パドックにとどまったままゲームオーバーとなった。
第6位 イソリア
イソリアはフランス人ドライバーのジャン-クロード・フェラランが、古いシェブロンB36をベースに作った格安C2カーである。85年のスパでデビューしたが、決勝は1周走っただけ。次戦のブランズハッチでは137周まで行ったがシフト・リンケージが壊れてリタイヤした。年代物のBMW製F2用4気筒を積んでいたが、翌86年はコスワースDFVに換装。第8戦のスパで一時クラス4位を走ったものの、オイルポンプのトラブルで戦列を離れた。