伊仏2台のスモール・ホットハッチ、デルタHFターボ & サンクGTターボ

公開 : 2017.05.21 00:10  更新 : 2017.05.29 19:22

フォルクスワーゲン・ゴルフGTIの登場が1980年代のホットハッチ・ブームの火付け役でした。そして、それに対抗するべくイタリアではランチア・デルタHFターボ、フランスではルノー・サンクGTターボという魅力的なモデルが登場しました。この2台、今、改めてステアリングを握ってみるとどんな印象を受けるのでしょうか。

空前のホットハッチ・ブームに沸いた1980年代、伊仏を代表する走りの名家がターボ・モデルで新たな時代を切り開いた。ランチア・デルタHFターボとルノー・サンクGTターボの戦いに、ロス・アークレイシが決着をつける。

ゴルフGTIから始まったホットハッチ戦争

ホットハッチという言葉を聞いて、オーバーフェンダーから太いタイヤを覗かせる、レーシング・ストライプで飾り立てた車高の低い箱車をイメージしたなら、フォルクスワーゲンのエンジニアのおかげだろう。

もっとも、そうしたパッケージング自体は第二次世界大戦前にも存在していた(その後、可倒式リアシートや使い勝手のいいトランクが装備に加わる)が、やはりなんといっても1976年デビューのゴルフGTIこそが、一般庶民の関心を自動車に引きよせ、このジャンルの可能性を再定義したと言っても過言ではない。

2台の小型ホットハッチと、「ポケット(小ぶり)」とは言えないロケット弾。


それ以来というもの、新車選びに熱心な既婚男性といえば、ゴルフ・レンジの高性能ハッチバックをふるいにかけ、子どもが遊ぶ「ホット・オア・コールド」の真似事をするようになってしまった。その結果、1980年までに実に140,000台ものGTIが嫁ぎ先を見つけることになるのだ。

当時、ゴルフGTIにとってライバルと呼べるクルマはないに等しく、強いて挙げるとすればルノー・サンク・アルピーヌ/ゴルディーニくらいのもので、他はミド・エンジンのルノー・サンク・ターボやサンビーム・ロータスヴォグゾール2300HSといったラリーのホモロゲーション・モデルが少数存在しているに過ぎなかった。

ゴルフGTIに2年遅れてランチア・デルタHFが登場

驚くことに1981年までは、イタリアのメーカーも日本のメーカーもホットハッチのマーケットに参入してこなかったのだが、やがて熱狂の時代を迎えることになる。それから数年の間にプジョーをはじめ、ルノー、MG、フィアットフォード、GM、トヨタマツダアルファ・ロメオといった強豪が闘いの舞台に躍り出たのだ。

まずフォルクスワーゲンに勝負を仕掛けたのはフォード・エスコートXR3iとヴォグゾール・アストラGTEで、ルノーはというと静かに好機を伺っていた。対するランチアは、ターボ・エンジン搭載のデルタHFを83年9月に投入する。

言うまでもなくこれは、当時1.8ℓエンジンを与えられていたゴルフに挑むためのものだ。0-100km/h加速こそ敵わなかったものの、最高速対決ではデルタに分があった。

ジウジアーロが筆をとったスタイリングの内側は、親会社であるフィアットのストラーダと多くを共有していた。アウレリオ・ランプレディ設計の名機と呼び声の高いツインカム・ユニットにはブースト圧10psiのギャレット・エア・リサーチ社製T3ターボチャージャーと空冷式インタークーラーが組み合わされ、さらにマイクロ・プレックス社の電子制御式イグニッションがウェーバーの32DATキャブレターへとリンクされていた。

またナトリウム封入式エキゾースト・バルブとオイルクーラーを採用し、圧縮比にも変更を加えた結果、標準のGT1600の最高出力107psから132psへ、さらに最大トルクは13.7kg-mから19.4kg-mへと飛躍的な向上を果たした。

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