ミッレ・ミリア 2017

2017.5.16-18

「ミッレ・ミリア」は今年で誕生90周年を迎え、復活してから35回目を数えます。今回は32ヶ国から440台が参加し、90年の歴史を刻んだモデルが一堂に集まりました。

text & photo:text & photo : Kunio Okada(岡田邦雄)

100枚超えの写真でレポート ミッレ・ミリア 2017

ミッレ・ミリアの歴史は1927年に始まる。ブレシア・オートモビル・クラブの中枢メンバーによって企てられたが、黎明期の自動車レースが都市間を結ぶ公道レースであったものを復活させるアイデアだったことがユニークで、行政や警察の協力も取り付けて実現した。今日でも行政や警察の積極的な協力がなければ、実施は不可能だろう。上下2車線しかない狭い県道の真ん中を、出場車たちは左側の対向車とすれ違いながら右側の一般車を抜いて走っていく。しかも先導を務めるのは白バイで、速度は120km/hを超えている。赤信号の交差点であっても、警察は左右の青信号のクルマを制止してミッレ・ミリアの出場車たちを優先して走らせる。たまにお巡りさんがいない交差点で出場車が赤信号で止まると、観客が「何を止まってるんだ、行け行け」と煽るほどで、観客もミッレ・ミリアに対しては一般の交通を超越したものとして応援してくれている。

イタリアだからできたイベント

もちろん時代錯誤な公道イベントでもあり、ミッレ・ミリアに反対する人たちもいる。それでも開催されるのは、ここがイタリアだから、とでも言うしかないだろう。当時は国営ラジオ放送で実況中継が行われ、その地域に出場車が近づいてくると沿道には観衆が押し寄せて、出場車は人垣のなかを全速力で駆け抜けるのだから、とても危険なレースだった。時には人身事故も起こるべくして起こり、そのために1938年をもって政府から中止命令が出て、1939年は開催されなかった。


1940年になるとブレシア〜マントバ〜クレモナの3都市を結ぶ170kmの閉鎖されたコースを設定し、そこを9周するという変則的な方法で開催され、参加車も過激なレーシングカーは締め出されることになった。そこで有利になり、優勝を遂げたのが、当時2000ccクラスではもっとも優れたスポーツカーと評価を受けたBMW328で、その歴史的実績ゆえに現代のミッレ・ミリアでもBMW328の参加は多い。
 

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