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かつて筆者が出場していた頃のブレシアでの基地は、ブレシアの中心広場に面した老舗ホテル・ヴィットリアだった。現在ヴィットリア広場では車検の最後の封印の儀式だけとなったので、わざわざチェントロ(旧市街中心地の意味)に泊まる必要もなく、最近はもっぱら郊外のアグリツーリスモ(元は農場の、日本の旅館みたいなところ)を本拠地にしている。
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ミッレ・ミリアの車検はかってはこのヴィットリア広場ですべてが行われ、とても混雑していた。今では郊外のフィエラ(見本市会場)で済まして、ここでは最後の封印の儀式のみ。封印とはハンドルシャフトに付けられる鉛の小さなコインで、当時のミッレ・ミリアで行われてきた伝統の継承だ。サポートする参加者を待つ間、私は美女たちから介護を受けておりました。
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待つことしばし、ヴィットリア広場に赤いスタンゲリーニ1100Sと白いチシタリア202SCカブリオレが到着した。我々のチームは、スクーデリア・ビアンカ・ロッサ(紅白隊)と名付けられた。ここでは長らくミッレ・ミリアのスポンサーを務めているショパールの時計も授与される。その他のスポンサーのブースもあり、エスプレッソやスプマンテがふるまわれた。
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ミッレ・ミリアは初年度の1927年から数えて90周年を迎えた。フィアット1100 MMの原初の姿は、1938年の508Cベルリネッタ。
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我らがスクーデリアの一員バンディーニ750Sもヴイットリア広場に到着すると、たちまち美女から傘を差し出され、思わずにっこり。
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ランチアは2代目となるジャンニ・ランチアの時代に総合優勝を狙い、1954年にD24で栄冠を獲得した。これは1953年のB20GT。
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1947年チシタリア202スパイダー。
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1952年シアタ・ダイナGS。
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1935年フィアット508CSベルリネッタ。
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1957年ランチア・アッピア・ザガート
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1955年マセラティ150S。
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1953年フェラーリ250MM。
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1949年フィアット 1100B カブリオレ。
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1935年ライレー・スプライト。
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1951年フェラーリ340アメリカ(左)。
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黎明期のミッレ・ミリアで活躍したのは地元に工場があるOMだった。1927年は優勝、1928年は2位だった。これは1930年のOM 665 SS MM。
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戦前のミッレ・ミリアの主役はアルファ・ロメオで、1928年から1938年の11回のうち10勝を挙げている。こちらは1931年の6C1750GSだ。
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今回の話題はアルトゥーロ・メルツァリオとJ.P.ジャリエが組んだ1938年アルファ・ロメオ6C2300MM(左)だった。隣は1930年6C1750GS。
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ベネチアをスタートする1933年アルファ・ロメオ8C2300モンツァ。
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1933年アルファ・ロメオ6C1500ザガート。
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1935年フィアット・バリッラ・スペチアーレ。
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1940年ランチア・アプリリア・カブリオレ。
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1951年シアタ・アミカ。
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1955年フィアット1100マリーノ。
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1948年ジャンニーニ750S。
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1950年ジャウル・タラスキ750S。
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1952年スタンゲリーニ750S。
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1948年フィアット1100Sベルリネッタ・モット。
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1954年フィアット1100Eベルリネッタ・ザガート。
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1955年フィアット8V ザガート。
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1954年アウトブルー750。
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1954年クレパルディ・パナール750コッリ。
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1954年フェラーリ750モンツァ。
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1955年ポルシェ550RS
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1957年ポルシェ550A RS。
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1955年ポルシェ550RS。
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1951年ナッシュ・ヒーレー。
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1953年ナッシュ・ヒーレー。
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1950年ヒーレー2400ウェストランド。
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1949年ヒーレー・シルバーストン2400D。
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1947年ヒーレー・ダンカン・ドローネ。
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1951年HWアルタ・ジャガー。
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1953年フレーザー・ナッシュLM。
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1952年ジャガーCタイプ。
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1956年ジャガーDタイプ。
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初日のゴールはパドヴァのプラート・デッラ・ヴァッレ広場。池の周りに止める。
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フィレンツェのエルミーニ375S(1955年)はオスカより早かった。
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ブガッティT43GSは8気筒のエンジンでロケットのように走る。
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エットーレ亡き後の最後のブガッティT101(1950年)はT57の改造型。
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意気軒昂たるエンツォが1950年に送り出したフェラーリ340アメリカ。
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1950年にチシタリアから生まれた最初のアバルトたる204ヴィニャーレ。
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中野選手の1951年ジャウル・タラスキ750S。
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佐藤選手の1957年バンディーニ750Sサポネッタ。
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木村選手の1953年オスカMT4 2AD。
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湯川選手の1953年ジャガーXK120dhc。
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オーバーヒート見舞われてしまったオスカMT4。
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渋滞の様子を見守るアバルト750GTザガートのクルー。
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1936年アストン マーティン2Lスピード・モデル。
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1936年アストン マーティン2Lスパ・スペシャル。
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1937年アストン マーティン2L 15/98
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1934年ブガッティT59。
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1937年BMW328。
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1937年BMW328 ベルリン-ローマ。
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1947年タルボ・ラーゴT26レコード
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1949年アルファ・ロメオ6C2500SS。
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1939年BMW 328 SMM トゥーリング。
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旧いクルマだけに道端での修理光景も珍しくない。
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競技区間のスタート地点には誘導するスタッフが立つ。
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田舎道のリエゾン区間では、参加車がコンボイになって駆けていく。
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1948年フィアット1100SMMゴッボーネ。
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1949年スタンゲリーニ1100S。
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1931年アルファ・ロメオ6C1750GS。
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1951年パガネリ・ランチア2000S。
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1946年HRG LM 。
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1948年ベントレー Mk-VII Spl。
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最終日にブレシアを目指す1954年アルファ・ロメオ1900Cカブリオレ。
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1952年シアタ300BCベルトーネ。
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毎年登場する応援隊クロカンティーノのフィアット600ムルティプラ。
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女性ドライバーのフェラーリ166MM。
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1953年フェラーリ375MMスパイダー。
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森田選手の1950年チシタリア202SC。
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1930年OM665スーペルバ。
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1947年チシタリア202SMM。
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1952年シアタ・ダイナGS。
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トト・ヴォルフとアルド・コスタが乗るW194 300SLも注目された。
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1955年ランチア・アウレリアB24ピニンファリーナ。
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1955年ポルシェ356スピードスター1500。
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シエナのチェントロを行く508Sコッパドーロ。
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普段通れぬ路地を1937年BMW328が2台続く。
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カンポ広場を目指す1927年ランチア・ラムダSr7。
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パルマの夜はパルコ・ドゥカーレに。
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1929年アストン マーティンLM3。
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1955年マセラティ200SI。
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1937年フィアット1500ヴィオッティ。
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1948年フィアット1100Sジルコ・マリアーニ。
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1952年フィアット・ローレアッティ1100S。
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1950年タルボ・ラーゴT26GSクーペ。
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1950年フィアット・ジャンニーニ750S。
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1947年チシタリア202SMMヌヴォラーリ。
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1947年フィアット508Cアラドーロ。
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赤と青と2台が続くアラドーロの後姿。
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1947年フィアット1100Sアラドーロ。
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関口選手の1931年アストン マーティン・ルマン。
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1927年ランチア・ラムダの2座席コルサ仕様。
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1950年フィアット・ジャンニーニ750S。
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1949年フィアット・トポリーノMor&Sca。
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1925年ランチア・ラムダ VIセリエ。
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竹元選手の1928年ブガッティT40GS
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1929年OM 665SS 2000。
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1925年ブガッティT23。
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小林選手の1957年ACエース。
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増田選手の1948年チシタリア1100S
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堺選手の1948年マセラティA6GCS。
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1929年ランチア・ラムダ。
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1933年アストン マーティン・ル・マンのドライバーと子供がタッチする!
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何度もミッレ・ミリアで優勝をしているジョルダーノとステファニア!
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マントヴァの美しい川を渡る。ゴールが近づいてきた日曜日の午後。
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そして感激のゴールは、スタート地点に帰ってヴィアーレ・ベネチアへ。今年もOMは栄えあるゼッケンNo1および4から16番まで13台が出場。
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今年は日本から初めて参加したチャレンジャーたちも多かったが、ブガッティT40で初参加の上村選手も全行程走りきってフィニッシュした。
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爽やかな笑顔でゴールするマセラティA6GCSモノファーロの堺選手。堺正章さんはミッレミリア・マイスターと呼ばれるべき実績を積んできた。
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1927年ランチア・ラムダ。この色も、スタイルも素晴らしい!
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トラクターのような1947年ヒーレー・ダンカン・ドローネ。
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ザガートで参加の優勝候補のジョルダーノ・モッツイは3位。
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近年連続して出場の1945年DBシトロエンはオランダからの参加者。
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スタンゲリーニ1100Sの山下選手も奥さまの内助の功でフィニッシュ。
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徹夜の修理も経験したスタンゲリーニ750Sの三田選手の会心の笑み。