いかにしてスーパーカーは進化した? そもそもスーパーカーとは? 「代表作」を振り返る
公開 : 2017.06.24 11:55 更新 : 2017.06.24 17:22
300SLの次の時代を切り拓いた3メーカー
300SLの次にルールを作ったのは、ランボルギーニ・ミウラだった。ガルウイングのSL以降、その手のスーパーカーが次々に生まれた。フェラーリ250GTやアストン マーティンDB4、そしてジャガーE-タイプ。
そして1966年、ミウラがそのフォーマットをすっかり書き換えた。V12をリアミッドに横置きし、そこにセンセーショナルなルックスをまとったのだ。これは半世紀以上経ったいまでも続く、スーパーカーの文法の基本となっている。
だが、スーパーカーのスペックには現実とかけ離れたものもあり、それがいつもながら物ごとを不透明にする。イタリア勢の示す数字がまっとうだといえるなら、ほかもそういうことになるところだ。
しかし、例えばE-タイプのスペック表に記された265psという数字はグロス値で、現在の表示に用いられるネット値に換算すると無視できないほど目減りする。
そしてまた、この手のクルマのテストに供される個体は、市販されているものと異なる「広報チューン」が施されている場合も往々にしてあり、ユーザーの誰もが手にできるパフォーマンスとは言い難い。
1961年のロードテストで約241km/hを記録したE-タイプは、レース仕様に近いものだったというのが真実だ。ミウラSVにしても、本当に380ps出ていたのかは疑わしく、それはフェラーリにもいえることだ。初期のBBは最高速度約303km/hを謳ったが、ある雑誌が行ったテストでは約262km/hに留まった。
そうした先達の存在こそあるものの、現在のようなスーパーカーの元祖はといえば、ランボルギーニ・カウンタックであると断じても異論はないだろう。
常識外れのルックス、V12の叫び、打倒フェラーリへの執念など、そのキャラクターはあまりにも強烈だ。とはいえ、特筆するほどの技術的な進歩はない。1980年代半ばに、スーパーカーは飛躍的な発展を遂げるのだが、それを成したのはランボルギーニでもフェラーリでもなかった。