ランボルギーニ・ミウラSVで「ミニミニ大作戦」の舞台めぐる 

公開 : 2017.07.09 11:10  更新 : 2017.07.09 11:48

衝撃的な末路をたどるトンネルへ

栄光に輝く2台のSVは、ロジャー・ベッカーマン扮するマフィアの裏切り者が衝撃的な末路をたどるトンネルを探してペースを上げる。

70年代前半のカーアクション映画では、スーパーカーがブルドーザーに激突したりするのがお約束だったが、コワルスキーの乗るダッジ・チャレンジャーも、バニシング・ポイントで似たような乱暴な結末を迎えている。


映画で使われた初期のP400の正体は、長らく謎であった。映画をスロー再生すると、ブルドーザーによってラ・トゥイール・トンネルの出口から渓谷に突き落とされたシャシーは、映画とは全く関係の無い事故でクラッシュし工場に戻ってきた、エンジンのないシェルであることが確認できる。

峡谷の急流に放り込まれる前に重要なパーツを全てシェルから取り外してあった。ミニクーパーの場合と同様、魅惑的な残骸を回収できていないため、その名残がアオスタにあるバルティー川の川床に今なお眠っていることは疑いようがない。

「くまなく探したものの、ついに見つかりませんでした」。特殊効果担当のクルー・メンバーを務めたケン・モリス氏はそう回想する。

真相を言えば、アクションシーンに使われた登録ナンバーBO296を付けたオレンジ色のP400は、実は工場が納車前のクルマを提供し、営業担当役員がアルプスまで運転していったものだった。

「本を書くために調べている時に、還付を受けるために税務署に提出されたレシートを見つけたのです。撮影にかかった3日分の燃料のものでした」


「最初のオーナーは、納車された新しいミウラが実はその前に山間部を走り回っていたとは、夢にも思わなかったはずです」

1968年以降に、トンネルの両端が延長されているため、トンネルを直ちにそれと認識できなかった。だが、雪を頂いたグラン・ロチェレ山の絶景を背に谷を見下ろすと、ベッカーマンがミウラに乗って苛酷な運命に向かって山岳道路を疾走していた時の最後のローアングルからのシーンとやはり一致する。

ご想像の通り、そのシーンを再生し、2速に落としてエンジンをうならせながらトンネルを走り抜けた。フィルムのシーンとは実に対照的だが、トンネルの出口で我々を待ち受けていたのは、ツール・ド・フランスの開催に備えている町の人々だった。

おあつらえ向きに、映画に出てきたキャタピラーのブルドーザーもサイクリストたちのための整備のために存在していた。

コリンソンの映画は、イタリアでは余り人気がなかった。相も変わらずイタリアでの生活を一面的に描いたギャング映画である点を考えれば、とりたてて不思議なことではなかった。そのためでもなかろうが、我々を歓迎してくれる者は村人の中にいないように見えた。


ラ・トゥイールで折り返し渓谷に沿って道をモルジェまで下り、ガソリンスタンドで燃料を補給し、我々もエスプレッソで一息入れた。

同行したガレージのオーナー、キッドストンは、自分のミウラについてよく知っており、珍しいSV仕様については饒舌だった。だが、この映画に関する彼の蘊蓄も、やはり40年を経た古典だった。

彼のオフィスには、イージーライダーのポスターなど、ハーレーの写真が貼りめぐらされている。燃料を補給後、E25号線を東に向かう。

その後、山岳シーンが撮影された道は、ヴァッレ・グラン・サン・ベルナールの伝説的な山岳道路に向かって分岐する。2車線の高速道路が谷を縫うように下り、アオスタまで6つのトンネルを抜ける。

そこで、キッドストンは、わたしを自分の粋な黒のSVの助手席に招いた。わたしは、彼がレース用シートベルトを着用するのを見て、高速走行に備えて、心の準備をした。

SVを11年所有し、およそ2万km走ったキッドストンは、恐らく、近年、どのオーナーよりもSVを運転している人物だ。

「SVに乗れば、少なくともガレージのスペースが広がる。SVにはいつも整備士が付きっきりだからね」。クルマを発進させながら、彼はそんな冗談を言った。ありがたいことに、E25号線は交通が少なく、ジャンフランコ・イノチェンティ氏の所有していたSVは、東に向かって矢のように走る。

そのチューンされたV12は、勇壮なエンジン音を轟かせながらトンネルを次々と抜けていく。トンネルの暗闇に飛び込み、遠い出口から差し込む光をたぐり寄せるがごとく走る。荒々しい咆吼に、モナコGPのトンネル区間を思い出す。

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