回顧録(1) いま知る ランチア・デルタ・インテグラーレと、その歴史

公開 : 2017.07.25 17:40  更新 : 2017.08.11 17:04

あの日、あの時

キールダー・ビレッジに近づくと、S字コーナーがあり、近づいてみると遠目で見ていたよりもはるかにきつい。最初のコーナーではスピードが出すぎていたものの、エヴォ2は、コーナーの中間まで機敏にかつ安定して回り込み、右から左へのステアリングの切り換えも容易だ。

さらに先に行くと、右にタイトターンするダウンヒルを下って太鼓橋を越え、更に左にターンするアップヒルに繋がる。路面が荒れているにもかかわらず素晴らしい安定感を見せ、早々とトラクションを回復し、ダッシュすることができた。エヴォ2を運転していると、事ある毎に痛感させられることがある。

それは、エヴォ2の性能があまりにも高く、筆者の技倆では、その性能を限界まで引き出すことなど到底できそうにもないことだ。

アレンが魔の森に復讐された1991年は、ランチア・デルタがRACで最後に優勝した年でもあった。やはり「魔の森」で明暗が分かれた。

この年、WRCのタイトル争いに絡んでいたのは、インテグラーレ16vに乗るユハ・カンクネンと、トヨタ・セリカに乗るスペイン出身のカルロス・サインツだった。

1988年のRACでマルク・アレンと最終日まで首位の座を争ったカンクネンは、スバルに移籍したアレンと入れ替わるような形で1990年にランチアに移籍し、ランチアのマニュファクチャラーズ・タイトル6連覇達成に貢献した。

対するサインツは、前年に、日本車に乗った初の世界チャンピオンとなり、翌年にも2度目のタイトルを獲得している。

タイムトライアルが行われるスペシャルステージ(SS)。その年は、キールダー内にあるSSが、距離にしてSS全体の実に30%を占めていた。戦いの場をキールダーに移した頃、首位に立っていたのは、カンクネンのチームメイトで、やはりインテグラーレ16vに乗るディディエ・オリオールだった。

オリオールは、3年後の1994年にトヨタ・セリカ・ターボ4WDでフランス人初のWRCドライバーズ・チャンピオンに輝く。

いずれにしても、その日のスタート時点において、オリオールがトップに立ち、29秒差でサインツが追い、カンクネンはさらに21秒遅れていた。

ところが、魔の森を抜けた時、カンクネンが2位のケネス・エリクソンを3分1秒も引き離して首位に立ち、エンジン・オーバーヒートに苦しんだサインツは、2位のエリクソンよりも2分21秒遅れの3位に後退していた。

トップだったオリオールはクラッシュしたせいで順位を大きく落とし、13位だった。さらに、30台が魔の森に捕まり、立ち往生していた。

「キールダーが何もかも変えてしまったんだ」。カンクネンは、やや上機嫌に語った。

「キールダーさえ無事に抜けられれば、まあ、上位は固いからね」

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