回顧録(6) BMW 2002ターボに試乗 「マルニ」は今でも刺激的

公開 : 2017.08.20 17:40

「TURBO」の文字は悪の象徴?

プレスカー(それぞれが、エアスポイラーに逆さ文字で「TURBO」と書かれた有名なステッカーを貼っていた)が公道に持ち出されるや否や、西ドイツ当局が介入したのであった。

ステッカーが、スピードの出し過ぎと乱暴な運転を誘発するというのが理由だった。

BMWは当局の言い分をある程度尊重することにし、ステッカーをディーラーに提供したものの、ディーラーがそれを貼ることは認めなかった。

モータースポーツ規則が変更され(ターボ車が禁止され)た一方、発売が1973年の石油危機とちょうど重なったという不運もある。

原油価格が4倍に高騰したことは、当然であるがガソリンを食う7.4km/ℓの高価な高性能車の販売にも不利に働き、2002ターボの販売台数が伸び悩んだ。

ミュンヘン工場で生産された2002ターボの台数は計画していた2000台を下回る1672台にとどまった。

当局によるわずらわしい介入やモータースポーツとは別に、ターボを装備したことで、2002はRS2000、2000 GTV、そしてトライアンフ・ドロマイトなどと競合していたそれまでの市場セグメントから抜け出し、重厚なポルシェ911ターボと同じ土俵で競争する結果になった。

5800rpmで172psを発揮する当時の金額で£4,221(59万円)のBMWは、最高速度が209km/hに達し、0-96km/h加速がわずか7.3秒だった。

これはポルシェ911ターボよりも速く、ジャガーE-タイプよりも高額だということを意味していたのだ。

AUTOCARは当時次のように記している。

関連テーマ

おすすめ記事

 
最新試乗記

人気記事