「確かなルーツがなければ、夢は生まれない」 アバルト本社訪問

公開 : 2017.09.18 10:10

つねに情熱的であること

アバルトの口火を切ったのは2007年のフィアット・グランデ・プントで、その1年後にアバルト500がリリースされた。フィアット社の兄弟モデル同様に、アバルト500にも、コンバーチブルや高出力化が図られたもの、多くのトリムバリエーション、限定車などの派生モデルが誕生した。

少なくとも、これらは2016年10月に登場したアバルト124スパイダーと同じくらい刺激的なものだった。

FCA社CEOのセルジオ・マルキオンネがマツダMX-5をフィアットの新しい2シーターオープンのベース車両とすることを決めたことで、サソリも偶然に2シーターモデルの機会を得たのだ。フィアットがクルマを手に入れ、アバルトは利益を作ることとなる。

この決定がなければ、アバルト124スパイダーは非常に高価なモデルになっていたかもしれない。

魅力的な製品によってアバルトは勢いづいているが、アルビスは付け加える。「実際の変化は、販売数が倍増した2015年です。当初4000〜5000台だったものが、ヨーロッパと中東、アフリカ向けを含め、2016年には18000台以上に増えました」

これはアバルト・ブランドを取り扱うFCA系列のディーラーの増加に起因する。また、木箱に入れられたアバルトのチューニングキットは、10000を超えるオーナーの元に渡ったのだった。

同時にアバルトのブランド力向上も重要なミッションだった。「情熱的なブランドなら、コミュニティが生まれるのです」と、ドゥカティでの経験を持つアルヴィシは言う。

「アバルトへの関心が高まる中で、Scorpionship(スコーピオンシップ)と呼ばれるウェブサイトを1年半ほど前に立ち上げ、技術ワークショップや走行会、SNSのイベントなどを通じて10万人ものユーザーを集めた。目標は、より多くの人にアバルトのクルマと歴史に触れてもらい、サーキット走行へと結びつけること。アバルトの良さは乗ればよくわかるのです」

いったいどのような活動をおこなっているのだろうか。

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