アルファ・スパイダーの系譜を探る(1) ジュリエッタ・スパイダー 試乗記
公開 : 2017.10.01 15:40
スイートな特集がはじまりました。題して「アルファ・スパイダーの系譜を探る」。(1)の主役はジュリエッタ・スパイダー。どうやらとっても色っぽいようです。
もくじ
ー いつだってロマンチックなアルファ
ー 55年 ジュリエッタ・スパイダー登場
ー 中産階級に向けた初めてのスポーツカー
ー 誰だってハンサムな女たらしになる
いつだってロマンチックなアルファ
アルファ・ロメオは(そしてある意味、イタリアという国も)スパイダーを通じて「ドルチェ・ヴィータ=甘い生活」を他国に輸出してきた。
ピニンファリーナが独占的に手掛けたデザインと、往時としては最良の直4エンジンによって、多くのひとびとがエキゾチックで洗練されたクルマを楽しんだ。
最も特筆すべきは、これらのスパイダーがイタリア車に期待される楽天的なキャラクターのすべてを備えていたことだろう。アウトラーダを飛ばすときも、アルプスの峠を攻めるときも、陽光が降り注ぐトスカーナの裏道を走るときも、いつだってロマンチックなクルマだった。
そこには、説明し難いけれどセンシティブな人間味が存在する。
しばしば使われる「ドライバーズカー」という言葉は、鼻息荒い性能や男らしさに行き着きがちだ。しかし絶頂期のアルファ・スパイダーは(オラツィオ・サッタ・プーリアが開発のトップだった時代がとくにそうなのだけど)、むしろ満足度の高さに焦点を当てていた。
シルキーでよく回るエンジン、甘味なギアボックス、反応のよいステアリング、そしてシンプルに見えて実は本質的に正しいシャシーの構成など、洗練性にこそスパイダーの強みがあったのだ。
戦後のアルファ・ロメオのビジネスは実用的なセダンを量販することに注力したが、輸出先で旗振り役を務めたのはこの魅惑的なオープンカーだ。50年代にひとびとが話題にするアルファと言えばスパイダーだった。
1910年の創立から40年間で累計生産が3万3000台でしかなかったアルファ・ロメオは、量産体制の確立を急いだ。50年代の奇跡的な経済復興(それは遅ればせながらの産業革命でもあった)のただ中でイタリアは急ピッチで変化し、そこにアルファも変貌のチャンスを得て、そして利益も得たのである。