驚愕と畏怖、オーテック・ステルヴィオ 日産とザガートの合作 試乗記
公開 : 2018.01.08 15:40 更新 : 2021.03.05 21:33
ザガートの苦境 オーテックとの別れ
最初の計画では203台を製造することになっていたが、これはかなり気ままな数字だ。それでも、ザガートは何とか半分を賄った。
1991年、オーテックは第2弾としてイタリア・アルプスの峠から名前をとったガヴィアを発売した。一言でいえばステルヴィオからばかげたミラーを取り去ったクルマだが、さらに売れなかった。1993年までにおよそ16台が製造されただけだ。
ザガートはさらに2モデルを提案した。ウェッジシェープの300ZXをベースとするバンブーは4台試作したところで中止となり、量産化にこぎつけることはできなかった。セクシーな300セタはこの中では割とましなスタイルだったが、1台限りだった。
これでオーテックとの提携は終わり、ザガートは坂を転げ落ちていく。
次の相手となる日本メーカーはトヨタだった。この協業は2001年のサロン・ド・ジュネーブで公開されたMR-2ベースのVM-180、そして忌まわしいSUVハリアーの派生モデルへとつながっていく。
一方、オーテックは5ドアのスカイライン・ワゴンなどを含むあらゆる種類のクルマを少量生産していた。
ここで舞台は風の吹きすさぶマン島へと移る。