JLRのエグゼクティブ・ディレクター、どんな仕事? インタビュー

公開 : 2018.03.31 18:10

ロジャースがトップになるまで

ロジャースはオックスフォード近くの酪農農場で生まれ育ち、10歳のとき家族のシリーズ2ランディで運転を覚えた。乾草の俵の上に座り二本足でクラッチを踏みつけて。

彼はいつも機械の仕組みに興味があった(「物を分解したり組み立て直したりしていました」)。16歳のとき、(1980年代初め頃には最先端の分野だった)電子工学専門の技術見習いとしてブリティッシュ・レイランド(BL)の入社試験を受けた。

首尾よく選考されたものの次の色盲試験で落っこちてしまった。「配線を間違えては困るというのです。落ち込みましたよ」

しかし翌朝、BLから別の電話があった。「ボディ・エンジニアとしてなら見込みがあるというんです。ボディ・エンジニアなんて知りませんでしたが、試験を受けたら採用されました」

4年間の技術見習いを無事終了して工学の学位を取得し、次は博士号である。若いロジャースはボディ・エンジニアとしてCAE(コンピュータ・エイデッド・エンジニアリング)を勉強し、次にNVH(ノイズ、バイブレーション、ハーシュネス)部門へ移り、さらに安全工学へと続く。

「基礎をみっちりと勉強しました」と彼は言う。ある時はローバー・ミニ・コンバーチブルの担当となり、またある時はホンダとの共同プロジェクトで働き、オースチン・モンテゴの奇妙な「話すダッシュボード」を従来のものに置き換え、そしてローバー200のBMWによる再生産にもかかわった。

その他の特記事項としては、初代フリーランダーとミュンヘンで18カ月を過ごした初代BMWミニの仕事がある。そしてソリハルのすべての製造ラインの管理という大きな仕事もこなした。

「特にキャリア・プランはなかったんですよ」と彼は言う。「与えられた仕事をこなしただけです」

ロジャースがトップになってから怒涛のような3年間が過ぎた。

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