中国ジーリーホールディングの野望 デザイナー・インタビューで探る
公開 : 2018.04.14 16:10 更新 : 2018.04.26 14:08
ジーリー・グループのデザイン部門ボスになるまで
ホルベリーが今の地位にあるのはフォードの人脈のおかげである。
フォードのグローバル・デザイン立ち上げのトップとして米国で顕著な業績をあげた後、2009年にボルボから2度目のオファーがきた。1990年代に素晴らしい成功を収めたところだ。
当時、このスウェーデンの企業は前任者のデザイン・チーフが突然辞めてしまい方向性を見失っていた。ちょうどフォードが売却の準備をしていたころである。ホルベリーはフォードの魅力的なオファーに喜び、家族とともにスウェーデンに移住した。1年後、ジーリーホールディングは13億ポンド(1940億円)でボルボの買収を完了し、すぐにドイツ人ステファン・ヤコビを新しいCEOに指名したが、ホルベリーは彼とはウマが合わなかった。
「3年間のポストを約束されていたのですが、2週間で終わってしまいました」と彼は記憶を手繰る。「新任者は改革に熱心だということですが、翌日、李会長がわたしをジーリーグループのデザインのトップに指名すると報道発表したんです。寝耳に水でしたが、悪い話ではなかったですね」
すぐにジーリーデザイン・ヨーロッパがイェーテボリに新設され、メンバー5人のチームがボルボから借りた離れの部屋に集められた。
ジーリーグループ・デザインは今では世界の主要6都市にセンターを持ち、600人の要員を抱え、さらに160人を募集中だ。
ホルベリーはイェーテボリを拠点としているがしばしば上海に赴く。上海は今でも中国のデザインハブであり人材の宝庫だ。ただし、優秀な人材の獲得競争は「かなり熾烈」である。
「わたしの最初の仕事は」と昔を思い出しながらホルベリーは言う。「ブランド・アイデンティティのアイデアを新しいオーナーに売り込むことでした。ジーリーのクルマにはデザインの共通性がなかったのです。クルマは別々の工場でそれぞれ別々のやり方で開発されていました」
ホルベリーの最初のプレゼンには、いろいろな動物がばらばらに集まっている絵が載っていた。パンダ、キリン、サメにロバ。それぞれクルマを表している。それらしい家族やヒエラルキーも描かれていない。
次に彼は猫の一族が描かれている絵を見せた。ライオン、トラ、プーマにタビー。即座に順番に並べることができ、一瞥しただけで互いの関係性がわかる。
これは効果的な説明だった。いろいろなクラスのジーリーのモデルには共通のテーマが必要だったのだ。
しかしだからといって、同じである必要はない。
これこそがポイントなのである。次項でその実際を見ていこう。