ランボは、学校の送り迎えに最適! エスパーダを乗り続けた夫妻 後編

公開 : 2018.05.05 20:10

1977年に買った「茶色のエスパーダ」。ランボルギーニをファミリーカーとして乗り続けたリチャード&リン・ブル夫妻のお話の後編です。見つからないキャレロのヘッドライト。そして思わぬ悲劇。レストアの道は前途多難です。

もくじ

前編
ランボ 3種のラインナップ
わが家のファミリーカー
「いつか捕まえてやる」 警官の勘違い
世界初の4シーター・グランツーリズモ
燃費も悪くないスーパーカー
後編
エスパーダ レストア開始
キャレロのヘッドライト探し
もう廃車か 救ったスペシャリスト
「こんなサウンド、ほかにはない」
孫の財産に ブル夫妻の想い

エスパーダ レストア開始

ブル夫妻は2001年にレストレーションを考え始めた。「夫がランボルギーニクラブに加入してからは、『必ずいつかやる。いつかやる』と言い続けていましたが、どんどん時が過ぎてしまいました。そしてついにランボルギーニのヴァレンティノ・バルボーニに話をして、写真を送ったものの、『最悪の場合、約6万ドルかかる』と言われました。クルマを工場に送ったら、バルボーニから電話が掛かってきて、とても悲しそうな声で『とても酷い』と言われました。レストアにも当初の2倍掛かると言われましたが、それだけの予算を割くことができませんでした」


ランボルギーニがアウディに買収されたため、支払にも英ポンドに対して強いユーロを使うことになり、そのため状況がさらに悪化した。最終的にエンジンとドライブトレインをすべて組み立て直すことになり、2004年には最終費用が26,000ユーロまで膨らんだ。ブル夫妻は、フェラーラにある会社でオリジナルのインテリアを製造しているブルーノ・パラテッリにも紹介された。パラテッリは内装をすべて取り外し、レザーの独特のパーフォレーションを含め、正確な仕様に合わせてすべて造り直した。

すべてが再び英国に送り返されてきて、ブル夫妻はやっと一息つくことができた。2006年に人から薦められ、エスパーダをエセックスにあるジェニングス・エンジニアリングに送り届けた。「マイケル・アンド・コリンは素晴らしい会社です。病人の看護をするような仕事だから、好きなだけ時間をかけて直して下さいとお願いしました。クルマは再び分解され、作業の進行状況を示す1000枚以上の写真が送られてきました」
 

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