フェラーリ・ミュージアムでエキシビジョンを開催

公開 : 2013.03.13 11:56  更新 : 2017.06.01 01:49

マラネッロのフェラーリ・ミュージアムにて、フェラーリ・スーパーカー:技術、デザイン、伝説というタイトルのエキシビションが始まった。このエキシビションは、ラ フェラーリをはじめ、フェラーリの伝説を築いた、様々な限定モデルであるスペシャル・モデルを展示し、紹介するというもの。

ルカ・ディ・モンテゼーモロ会長により、開幕された「フェラーリ・スーパーカー:技術、デザイン、伝説」エキシビションは、1964年250GTOに始まり、1984年GTO、F40F50、そしてエンツォなど、フェラーリの限定モデルの歴史を辿る内容のエキシビションとなっている。そして、そのストーリーの最後は、ラ フェラーリへと続く。

また、ロードカーの限定モデルに並び、歴代F-1マシンや、GTOエボルツィオーネ、F40コンペティツィオーネ、599XX、FXXといったサーキット専用モデルも展示されている。

このエキシビションは、9月30日まで開催している。ちなみに、ミュージアムの開館時間は、9時30分〜18時(5月1日まで)、9時30分〜19時(5月1日以降)。チケットのご予約はwww.museoferrari.comにてご予約することも可能だ。

250GTO
すべてのフェラーリの中で、もっとも有名なモデルの1台が1962年から1964年にかけて生産された250GTOだ。生産台数はわずか36台で、現在もそのすべての車輌が現存している。250GTOは、国際GT選手権において、3年連続でサーキットを席巻し、マニュファクチャラーズ部門のタイトルを獲得したモデル。GTOのネーミングは、参戦したレース・カテゴリーを表したもの。当時、レース出場車輌には、年間最低100台のロード・モデルを製造することが義務付けられていた。連盟(FIA)はこのルールにもとづき、すでに200台以上市販している250GTのショートホイールベース仕様のエボリューション・モデルとして、250GTOを公認(ホモロゲート)したため、このモデルのネーミングは、自動的に250GTのホモロゲーテッド・バージョン(イタリア語:Omologataの頭文字)、250GTOとなった。コロンボ・エンジンの進化版である2953cc V12エンジンを搭載。出力は300CVを誇り、低回転域から高いトルクを発生し、当時としては画期的な5速ミッションを搭載した。250GTOの成功の鍵となったその他2つの要因としては、880kgという乾燥重量と卓越した俊敏性が挙げれる。なお、現在、250GTOは、2,000万ドル(19億円)の値がつけられている。

288GTO
288GTOは、“グループB”のレースのために開発されたモデル。開発プロジェクトは1983年に遡り、そのベースとなったのは308だ。スチール製シャシーを強化し、ホイールベースおよび前後トレッド、そしてホイールサイズに手が加え、2基のインタークーラーを備えたV8ツインターボ・エンジンを搭載する。エアロダイナミクスの面においても、巨大なスポイラーを追加装備するなどの強化がされている。開発の途中でFIAグループB規定が廃止されてしまったために、1984年、一般公道を走る市販モデルとして発表され、大成功を納めた。その結果、計画されていた200台を上回る277台が生産されている。

F40
予想を上回る288GTOの成功により、レース用に開発された最先端技術を市販モデルに導入するという手法に、高いポテンシャルがあることが明らかになった。その結果、1987年のフランクフルト・モーターショーでデビューしたのが、このF40だ。そのシャシーはスチール製だが、これを複合素材とケブラーで補強し、リアの巨大なスポイラーに象徴されるボディワークもあわせて複合素材で造られた。288GTOより80CV増加した出力478CVを発生するツインターボ・エンジンにより、0-100km/hは4.1秒、最高速度は当時としては驚異的な、324km/hに達した。当初は生産台数400台と発表されたが、結局、5年間に渡り生産が続けられた結果、最終的に生産台数は1,315台となっている。

F50
このモデルのネーミングの50は、フェラーリ創立50周年(1997年)に由来している。1995年のジュネーブ・モーターショーで発表され、マラネッロで造られた最後のスポーツ・プロトタイプカー、333SPと同時に設計が進められた。F1マシンの製造技術を導入したカーボン・ファイバー製ボディ・シェルにV12エンジンを搭載するという、まさにF-1そのものの構成。加えて、F-1マシン同様に、エンジンは車体後部エリアのストレスメンバーとして機能するという構成が採用された。生産台数はわずか349台。

エンツォ・フェラーリ
2002年のエンツォの登場は、F1世界選手権においてドライバーズ、およびコンストラクターズの両選手権で連勝していた時代に遡る。また、創設者の名を冠したネーミングは、フェラーリの卓越性を約束するもの。F-1の影響を色濃く受けたスタイリングのこのモデルは、ロードカーとして初めて、マネッティーノが搭載され、ステアリング上に設けられたセレクターにより、ドライビング状況、路面状況に応じて車輌のハンドリング特性を変えることを可能としたモデルでもある。軽量でコンパクトなV12エンジンと、マネッティーノからの入力に反応する車輌ダイナミクス・システムは、まさしくF-1マシンそのもの。このシステムは、サーキットのコーナーごとにセッティングを変えるというミハエル・シューマッハのレーシング・テクニックにより開発されたもので、サーキットを1周する間に、車輌のセッティングを何度も調整するというもの。近代的なF-1ステアリング・ホイールと、チームとドライバーがマネッティーノと呼んでいたシステムは、このような経緯で誕生したのである。

599XX Evo
公式には599はスーパーカーではないが、XX仕様車がスーパーカーに属することは明白だ。フェラーリには、フロント・エンジンの高性能車輌を開発するという根強い伝統がある。そのもっとも象徴的なモデルは250GTOだが、もちろん他にも同類の車輌は存在します。599XXは、登場すると同時に世界に知れ渡り、世界屈指の難コースとして有名なドイツ、ニュルブルクリンクのノルドシュライフェ(1周22.8km)のコース・レコードを更新した。技術的には、599XXは先進性で全てが構築されている。自然吸気V12エンジンは730CVを発生し、フロントに47%、リアに53%という理想的な重量配分、そして洗練された電子制御システムにより比類ないハンドリングを備える。また、可変リヤスポイラーに象徴されるエアロダイナミクス性能も、この圧倒的なパフォーマンスに貢献している。この車輌は、サーキット走行専用に開発されたものだった。

GTOエボルツィオーネ
288GTOの商業的な大成功により、フェラーリは、究極のスポーティー・ロードカーをお客様に提供するということに、大きなチャンスがあることを認識した。このGTOエボルツィオーネもそういった手法で造られたモデル。しかしながら、このモデルは、一度もレースに出場することなく、開発車輌としてその任務を終えた。

F40コンペティツィオーネ
従来から耐久レースに参戦していたフェラーリ・インポーターの要望に答えて、ミケロットによって開発されたのが、このF40コンペティツィオーネだ。この車輌は1989年に発表され、数々の成功を納めながら1990年代終盤まで開発が進められた。

FXX
フェラーリは、同社のもっとも重要かつ熱狂的な顧客のために、プロトタイプ・モデルであるFXXを用いて、他に例を見ない非常に革新的技術に満ちたプログラムを用意した。このマラネッロ製のFXXは、フェラーリの重要な顧客をクライアント・テスト・ドライバーとしてお招きすることを目的としたモデルであった。

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