英国史上最高のドライバー、スターリング・モスの軌跡たどる マセラティとともに
公開 : 2018.07.01 12:10
カッスル・クーム モスがクラッシュした地
1晩をすごしたのち、グランツーリスモはカッスル・クームのパドックに滑りこんだ。ここで、モスのまた違った面、頑健さについてご紹介しよう。
1962年グッドウッドでの恐ろしい事故についてはご存じだろうし、80歳でエレベーターホールに落ちてケガをしてからまたもレースに復帰したことも覚えておいでだろう。また、1960年のスパ・フランコルシャンでは225km/hで衝突し鼻・背骨・両脚を骨折したことも思いだされるかもしれない。
しかし、もっと以前の1953年に、彼のキャリアはここカッスル・クームで終わっていたかもしれないのだ。彼はこのとき、「フォーミュラ・リブレ」というカテゴリーにエントリーした。名前から想像がつくように、ほぼ何でもありのカテゴリーだ。
モスは1ℓのV型2気筒JAPエンジンに載せかえたクーパーF3マシンに乗り、パワーで優る他車をあいてに序盤でリードをうばった。しかしあの悪名高いクアリー・コーナーで、より大型のコンノートのマシンが後部に接触してクーパーはひっくり返り、クルマから投げだされる前にコルクのヘルメットを被っただけのモスは頭部を地面にたたきつけられたというのだ。
モスはマシンから飛び降りると安全なところまで全力で駆け、そこでくずおれた。肩などにケガを負い、3カ月も戦列を離れることになった。オウルトンと同じく、カッスル・クームのひとびとは手厚く歓迎してくれた。レーサー生命をおびやかしかねない事故の現場に立ち、われわれも身の締まる思いだった。