マクラーレン、急成長のワケ 各部門チーフに聞く成功の秘訣 前編
公開 : 2018.08.04 11:50 更新 : 2019.05.04 13:03
驚くべき成長を続けているマクラーレンのロードカー部門、マクラーレン・オートモーティブ。この成長を支えるキーパーソンたちのやり方を取材しました。前編では、主に製造部門にかかわるひとびとに話を聞きました。
もくじ
ー 加速するマクラーレンの成長
ー 2011年、初めての市販車を発売
ー 生産量よりも技術を最優先に
ー 本当に難しいのは製造より設計
ー エンジニアリング対コスト
ー 共通部品の利用でコスト削減 あえての手作業
加速するマクラーレンの成長
マクラーレン・オートモーティブの驚異。驚くほど短期間でフェラーリの好敵手になったということを除けば、それはニュージーランド生まれのコンストラクター、レーシングドライバーであった創業者ブルース・マクラーレンのフィロソフィーに完璧に合致していることだ。
マクラーレンは1970年に死去している。彼の最初のロードカーが完成する数週間前のことだ。そしてマクラーレン・オートモーティブは2011年までクルマの販売を開始しなかった。自社のカンナム・スポーツカーのテスト中に33歳で亡くなったオークランド生まれのレーサーの臆面もない野心と技術への野性的な愛。
一方、まだ8年目にしてすでに1万5000台のマクラーレンを販売したウォキングを本拠地とする自動車メーカーの気風。両者の間にはほとんど神秘的といえる一致がある。ブルースを知っている人は、彼ならすべてに賛成しただろうという。
マクラーレン・オートモーティブの成長は加速している。2018年の生産台数は4000台に迫ると予想されている。黒字も5年目だが、その道のりは決して平たんではなかった。もし彼が生きていたら、1970年代初めにマクラーレンはロードカーとレーシングカーにまたがるM6GTクーペを間違いなく造っていただろう。
しかしそうはならなかった。20年後、ロン・デンス率いる後継会社マクラーレン・カーズがゴードン・マーレーの設計による伝説のハイパーカーF1を106台製造した。もっとたくさん生産する予定だったのだが、当時のマクラーレンの顧客リストにはそれ以上の億万長者が載っていなかったのだ。