米レース史最大の事故から15年 なぜマクラーレンのテスターに? インタビュー
公開 : 2018.08.11 16:10
米国モータースポーツ史上最悪の事故
「これまでの人生で、わたしは常に成功欲を抱いてきました」とブラックはいう。「レーシングドライバーとしても、わたしは自分が一番有能だとは思っていません。ただ、成功欲があったからこそ、どんなチャンスでも手に入れるために争ってきました」
「最初のころはレースをするのに十分なお金がありませんでした。ですから資金のために狂ったように働いたし、そのような精神は簡単に捨てられるようなものではありませ。わたしはビーチにいても飽きてしまうタイプです。表現の手段として、クルマの開発であれ、作曲であれ、何かを作るというプロセスが大好きなのです」
2003年、ブラックが超成功を収めていたころ、彼は危うくビーチと多忙さ、両方の選択肢を失うところだった。テキサス州フォートワースのオーバルトラックでのレース中、彼とライバルのホイールが接触し、空中に放り出された彼は壁面やフェンス、そしてフェンスの支柱に衝突した。マシンはバラバラになり、彼が固定されていたセーフティセルはトラックに向かって回転しながら急降下した。
クラッシュのピーク加速度は214Gで、米国モータースポーツ史上最大の事故となった。ブラックは当然命を落としたかと思われたが、胸骨、大腿骨、腰椎、足首の骨折に加え、ここに書ききれないほどの部位を骨折しながらも「脱出」を果たしたのだ。彼は現在足を引きずりながら歩くが、後悔はしていないそうだ。