ホンダ F1エンジン供給の苦悩 トロ・ロッソとの現状、レッドブルとの勝算は
公開 : 2018.09.09 10:10
ホンダのF1の軌跡
本田技術研究所(1964年-1968年)
最初の市販車の生産を始めた翌年、ホンダはフルコンストラクターのチームとしてF1に参戦した。1965年のメキシコグランプリではリッチー・ギンサーが初優勝を果たした。1967年のイタリアではジョン・サーティースが2度目の優勝を果たすが、チームは総合的競争力のあるシャシーーの開発に苦しみ、1968年末、ルーアンでドライバーのジョー・シュレッサーが亡くなった後にF1から撤退した。
エンジンサプライヤー(1983年-1992年)
1983年、ホンダはスピリットという小さなチームでF1に復帰し、ウイリアムズ、ロータス、マクラーレンなどのサプライヤーとして1980年代を通して数多くの成功を収めた。特筆すべきはF1ターボ時代の最後となる1988年のシーズンで、ホンダエンジンを搭載したマクラーレンは16レース中15のレースで優勝した。このシーズン、ホンダエンジンは69のレースで勝ちをおさめた。
エンジンサプライヤー(2000年-2005年)
セミワークスの無限ホンダのエンジンでF1との関係を保ち続けたホンダは、2000年にBARのサプライヤーとして復帰した。2001年、2002年にはジョーダンにもエンジンを提供した。優勝こそなかったが、2004年のコンストラクターズ選手権でBARはフェラーリに次いで2位でシーズンを終えた。
ホンダ・レーシングF1(2006年-2008年)
ホンダは2006年にBARチームを買収しフルコンストラクターとなった。ジェンソン・バトンがハンガリーで優勝するなど最初のシーズンを手堅く終えたチームは、しかし2007年、2008年と苦戦が続いた。会社側の財政的な問題もあり、ホンダは2008年末にチームを売却した。買ったのはブラウンGPで、メルセデスのエンジンを搭載し2009年に両タイトルを制した。
エンジンサプライヤー(2015年-現在)
ターボ過給のハイブリッドというレギュレーションに惹かれてF1に舞い戻ったホンダは、速さと信頼性の両面で苦戦した。マクラーレンとの3シーズンで最高成績は6位だった。トロ・ロッソとホンダの連合軍は、今年これまでに5回のポイント・フィニッシュをおさめている。