日本車はいかにアメリカの高級車市場を席巻したか レクサス編
公開 : 2018.09.16 07:40
LSの胎動(1984年)
マルFプロジェクトを率いた鈴木一郎氏は、メルセデス・ベンツをその縄張りで打ち負かすべく、できうる限りの手を打った。これに従事したデザイナーは60名、エンジニアは24ティーム1400名、技術者は2300名、それらのサポート役が200名以上にのぼったという。
最初のプロトタイプが完成したのは1985年だったが、最終デザインの完成までにはそれから2年を要した。この期に及んでもトヨタブランドで販売しようという声が上層部にはあったが、幾年もかけたリサーチの結果、独立ブランドの設置が得策であることは明らかだった。マーケティング部門に言わせれば、アメリカの購買層はメルセデスと同じ金額をトヨタには払わない、ということになる。
そこで、新ブランドの名称として、コンサルティング会社から数多くの候補が挙げられた。その数、実に219にものぼる。ヴェクター、ヴェローネ、シャパレル、キャリバー、アレクシス、などなど……。そんな中から生まれてきた名前こそ、レクサスだった。