GT-R50やゼロウノ VWが買収後「イタルデザイン」何めざす? 試乗で探る
公開 : 2018.11.11 07:40
番外編:イタルデザインの50年 その影響
1968年のイタルデザイン創業前、デザイン責任者兼共同創業者となったジウジアーロのもとには、すでにそのキャリアを通じても対応することができない程の注文が殺到していた。
ジョルジェット・ジウジアーロは当時わずか30歳であり、もうひとりの共同創業者、アルド・マントバーニは車体エンジニア兼生産スペシャリストだった。ふたりは共同で、ベルトーネや、ジウジアーロが以前働いていたギア、さらにはピニンファリーナに対抗すべく、デザインとエンジニアリングのコンサルティング会社を立ち上げたのだ。
イタルデザインの初仕事はアルファ・ロメオ向けに設計を行ったアルファスッドだった。あまり一般的ではなかったが、イタルデザインでは車両全体のエンジニアリングも行うとしており、このターンキープロジェクトは、ふたりの才能を合わせ、スタイリングに留まらないサービスを提供するという彼らの決意を証明するものだった。
彼らの専門知識により、イタルデザインはフィアット・パンダ、ウーノ、プント、フォルクスワーゲン・ゴルフにシロッコ、パサート、さらには他にも数えきれないほど多くのモデルを生み出し、1970年代から80年代、90年代の欧州の風景を創り出していった。イタルデザインがもたらしたものはこれだけに留まらず、その多くのコンセプトモデルもまた、非常に大きな影響を及ぼしている。
そのなかには、よりアップライトに乗員を座らせるようにパッケージングを見直すことで、与えられたキャビンの長さをより有効に使うことを可能にし、数多くのMPVやフィアット・ウーノを生み出したランチア・メガガンマのようなモデルもある。
もうひとつ忘れてならないのは、いすゞ・ピアッツァだろう。これは1979年発表のコンセプトモデル、アッソ・デ・フィオーリ(イタリア語で「クラブのエース」)を、ほぼ完ぺきに市販化バージョンへと再構築したモデルだった
ピアッツァでは、ドアとフェンダー、Aピラーからボンネットにかけてのラインを、ジウジアーロ独創のアイデアで処理し、ドリップレールを見えなくすることで、全体的な滑らかさを確保している。当たり前のように聞こえるかも知れないが、その設計は非常に複雑なものであり、その後もジウジアーロ自身が数多くこの手法を採用するとともに、その影響は現在まで広く続いている。
さらに最近では、アウディQ2とQ3の生産モデルの設計を行っている。これは非常に詳細にわたるターンキープロジェクトであり、イタルデザインの真骨頂とも言えるものだ。