元マクラーレン 伝説的デザイナーに独占インタビュー 関心、地上から空へ
公開 : 2018.12.24 17:10
卒業生は逸材揃い そしてミニへ
1983年、難関を潜り抜けた他の30人とともにデザインを学び始めたスティーブンソンだが、1986年に無事卒業できたのは6人に1人だった。だが、そのメンバーは逸材揃いだ。この年の卒業生からは、それぞれポルシェ・ボクスターと初代クライスラー・バイパー、フェラーリ・エンツォと初代ドゥカティ・モンスター(「会社を救ったモデルだ」)のデザイナー、さらにはアルファ・ロメオのチェントロ・スティーレのトップが誕生している。
いまやスティーブンソンは自身が手掛けたモデルのなかで、どれが一番のお気に入り化を決めるのにも苦労するほどだ。それでも、もっとも楽しかったプロジェクトはマセラティMC12を置いて他にはない。短期間で類まれな創造性から生み出されたモデルであり、レースではほとんど負け知らずなのだから当然だろう。
だが、もっとも興味深いのは、1980年代後半から始まったミニのプロジェクトだろう。「BMWがローバーを買収すると、ミニを存続するかどうかを決める必要に迫られました」と彼は言う。「かれらは新たなプロジェクトを始めたかったのですが、多くが愛する英国を象徴するモデルに手を加えることの意味を十分すぎるほど理解していたので、非常に慎重にプロジェクトを進める必要があったのです」
「たいてい、ニューモデルのプロジェクトはふたつか3つくらいのデザインチームの提案を競わせることで始まりますが、それでも多くのコストが掛かります。しかし、ミニの場合、BMWは英国、米国、ドイツとイタリアの15名ものデザイナーを指名しました。全員にデザイン期間として1カ月が与えられ、その後、モデラーとともに5カ月で1/1のスケールモデルを作ることになりました」