新型スープラ 開発責任者のことばを紐解く トヨタが考えるFR像とは

2019.01.06

たんなるZ4への便乗ではない

そうしたのボディ形式やデザイン以外で、スープラ専用となるのは一般的に “チューニング” もしくは “味つけ” と表現される領域である。

具体的にはスタビライザーも含めたバネ類、ダンパー減衰力、連続可変ダンパーを備える場合にはその制御プログラム、そしてエンジンと変速機、さらに場合によっては横滑り防止装置の制御プログラムなどだ。これらの味つけはすべてZ4とは関係なく、チーフテスターであるヘルヴィッヒ・ダーネンス氏を中心としたトヨタ独自のものだという。

逆に、あえて意地悪にいうと、それ以外の部分……すなわち、ボディやサスペンション、パワートレインにいたる基本骨格や基本コンポーネンツは、すべてZ4と共通と表現することもできる。それでも、新型スープラはBMWとの共同プロジェクトであり、単純に「新型Z4の企画にトヨタが乗っただけ」ではないことは、多田氏が明かすいくつかの事実が物語る。

たとえば「86がカタチになった時点で次はスープラだと思っていました」や「今回のプロジェクトに関してBMWと初めて接触したのは2012年5月」との多田氏の弁だ。

時期的に見て、当時はまだ新型Z4の企画は固まっていなかったと思われるし、そもそもZ4の業績はポルシェケイマンアウディTTなどの競合車の後塵を拝することが多く、BMWでも次のZ4に “秘策” を求めていた可能性が高い。

また、多田氏があげた新型スープラのいくつかのキモにもヒントがある。まずは「スープラ伝統の直6のFR」というものがあるが、これはBMWと組んだ時点で必然的に満たされる。そして多田氏がもっとも力説したのは「ホイールベーストレッド比は1.6以下」といういかにも回頭性が高そうなワイド&ローなスタンスと「直6でも水平対向の86と同等以上」という低重心、そして「量産車でありながらカーボンモノコックのレクサスLFAをしのぐ」ボディ剛性である。

記事に関わった人々

  • 佐野弘宗

    Hiromune Sano

    1968年生まれ。大学卒業後、ネコ・パブリッシング入社。カー・マガジン等で編集作業に携わるうちに3年遅れで入社してきた後藤比東至と運命的な出逢いを果たす。97年、2人でモンキープロダクションを設立するべく独立。現在はモータージャーナリストとして「週刊プレイボーイ」「AUTOCAR JAPAN」「○○のすべてシリーズ」他、多数の雑誌、ウェブ等で活躍中。
  • 前田惠介

    Keisuke Maeda

    1962年生まれ。はじめて買ったクルマは、ジムニーSJ30F。自動車メーカーのカタログを撮影する会社に5年間勤務。スタジオ撮影のノウハウを会得後独立。自動車関連の撮影のほか、現在、湘南で地元密着型の写真館を営業中。今の愛車はスズキ・ジムニー(JB23)

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