問われるモーターショーの意義 「冬のデトロイトショー」終わり 今後は
公開 : 2019.01.28 20:10
番外編1:デトロイトの栄光と挫折
先を見通すのは難しい。今思えば、1989年以来「国際」モーターショーとなったデトロイトの台頭は、自動車デザイン界におけるリーダーとしてクライスラーの短い栄光と、ふたりの大物、社長のボブ・ルッツとデザイン責任者、トム・ゲールの個人的な影響力とが密接に関連していた。
当時すでにデトロイトは海外メーカーにとって魅力的な新型モデル発表の場ではあったが、1988年にダッジがヴァイパー・コンセプトを提案し、翌年のデトロイトでその実車を公開したことで、米国デザイン黄金時代の幕開けを告げている。
ゲール擁するクライスラーは、その後、ホットロッドのプロウラーや独創的なPTクルーザー、強い影響力を誇った数多くのコンセプトモデルなどを発表し、その勢いは「世紀の合併」と呼ばれた1998年のダイムラー・クライスラー誕生でさらに加速している。
その結果、ダイムラー・クライスラー誕生に刺激を受けたGMとフォードも、独自デザインを創り出すべく持てる力を総動員している。そして市場が活気づき、その後しばらく海外メーカー勢(そのなかには米国工場の立ち上げに苦労しているところもあった)も加わることで、デトロイト・モーターショーは活況を呈することになったのだ。
だが、2008年にはリーマン・ショックの影響からその勢いに陰りが見え始め、ダイムラー・クライスラーが破綻を迎えると、急激な市場の収縮がクライスラーとGMを政府救済へと追い込んでいる。
こうした状況が海外メーカーのデトロイト離れに繋がり、以来、デトロイト・モーターショーは守勢に立たされている。
スティーブ・クロプリー(AUTOCAR英国編集長)