足るを知るとは? アルピーヌA110/マクラーレン・セナ同時テスト 後編
公開 : 2019.03.03 19:50 更新 : 2021.05.13 12:00
過ぎたるものの良さ
この問題に正解などない。ワインその他もろもろについて俗物を自認するわたしなら、ウェイトローズのほうを取るだろう。だが、世界一のぶどう酒で舌をうるおしたらどんな感じだろうと空想して人生をおくってきたひともいるはずだ。それを体験できるとなれば、その辺のワイン1本いや1箱でも到底かなわない、そのひとにとって生涯にわたる糧になるはずだ。セナは、まさにそのペトリュスなのだ。
それで、もういちど乗りたくなるのはどちらなのか。
ふつうはアルピーヌと答える、はずだ。性能は公道で分別を持ってちょうど使い切れるところにある。運転は楽しいし、すばらしく明晰な思想のもとに生まれた、天才がつくったクルマといってもいい。
だが本音のところでは、わたしはセナをとりたい。あなただってそうではないだろうか。何てったってセナなのだ。あのめくるめく体験を袖にするなんてできないだろう。画面がちいさすぎるから旅客機で5つ星の映画は見ないというのといっしょだ。たとえふさわしい状況でなくとも、味わう機会に恵まれたらぜひものにしたくなる。
たしかに、アルピーヌは文字どおり「じゅうぶん」で、セナが純粋に体現するのは「過剰」というしかない。だが、過ぎたるものもときに途方もなくすばらしくみえるものだと気づくのは、何もわたしに限ったことではないはずだ。