AUTOCARアワード2019予選 真のアイコン選手権 決めるのはあなた(中編)
公開 : 2019.03.16 11:50 更新 : 2019.06.03 08:54
スズキ・ジムニー
なぜ、ジムニーをアイコンのなかのアイコンと呼べるのだろう? このクルマのオーナーに聞いてみよう。英国版AUTOCARのビデオ責任者であり、2代目ジムニーを長く所有するミッチ・マッカビーだ。
「何世代にもわたって続く素晴らしいオフローダーです。タイムレスでクラシック、そしてキュートなルックスは、オフロードの道具として相応しく、ひとびとが、このクルマではどこにでも行くことができると言うとき、それは、世界中で手ごろな価格で販売されているということを意味しているのです」
「これまでの長い歴史では、多くのデザインとスペシャルエディションが登場していますが、LJ10、SJ、サムライ、そしてジムニーの歴代すべてのモデルがアイコニックな存在であり、特に新型はそうしたモデルです」
だが、いかにミッチが強く推薦したとしても、もし、4代目となる最新のジムニーが、まるでわたしのように醜く肥大化していたならば、今回ノミネートされることになっただろうか?
スズキは、アイコンと呼ばれるモデルに相応しいモデルチェンジを行ったのであり、ときには規制が素晴らしい創造性を発揮させることもあるということだ。当時LJ10と呼ばれた1970年デビューの初代ジムニーは、日本の軽規格のもとで初めて作られた4×4モデルだったが、ジムニーは現行規制にも合致しており、つまりは、そのボディの大きさ自体はほとんど変わっていないということだ。こんなことは現代のクルマにはほとんど当てはまらない。
LJ10は軽初の4×4モデルというだけでなく、スズキにとっては初めて世界的にヒットしたモデルでもあった。小さなジープのようなルックスで、小さなジープのごとき悪路走破性を発揮するこのクルマは、本家ジープ同様、ハードトップとソフトトップのみならず、トップレスやピックアップといった、さまざまなボディスタイルに変更することが可能だった。
1981年にはSJ30と呼ばれた2代目がデビューしている。当時、このSJという型式によって、このクルマは「Suzuki Jeep(スズキ・ジープ)」として知られた存在だった(これまでにジムニーに与えられたすべての名称や型式を並べるのは、まるで外国語を学ぶようなものだ)。
一方、1980年代のSJは、ジムニーにとってもっとも困難な時代を象徴するモデルでもあり、それは、米国市場で販売された海外向け仕様のサムライが、コンシューマーレポートが行ったテストで、横転したことが原因だった。この結果、広く米国の消費者のあいだでジムニーへの評価が大きく下がり(それでも、ハードコアなオフローダーからの信頼が変わることはなかった)、2000年代まで継続された訴訟騒ぎに巻き込まれることとなった。だが、それでもジムニーは生き残り、成功への道を歩んでいるのだ。
1998年に登場した3代目(世代を経るごとに、モデルライフが長くなっていることに注目頂きたい)は、もっとも馴染み深い1台だろう。20年にわたって現役を続け、モデルライフ末期には、先代ランドローバー・ディフェンダーとメルセデス・ベンツGクラスを越える長寿モデルとなっていた。
現役期間中、このクルマのようなキャラクターと、シンプルなメカニカルコンポーネントを実現していたモデルは他になく、デビューしたばかりの4代目ジムニーにまで連綿と続く、これほどコンパクトで本格的な4×4が、スズキ以外のメーカーから登場することもなかった。
ラダーフレームとローレンジを備えた小型軽量なジムニーであれば、他のどんなクルマよりも手軽に、多くの場所へと足を踏み入れることが可能であり、約50年にもわたって、このクルマはそうした機会をひとびとに提供し続けて来た。
ジムニーによって、スズキは世界でももっとも現代的でイノベーティブな自動車メーカーとしての地位を築くことができたのであり、進化したジムニーの登場は、過去のモデルを懐かしく思い出させてくれるきっかけとなるのだから、まさにアイコンと呼ぶべきモデルだろう。
(マーク・ティショー)