日本一のレースクイーン、その軌跡(1) 林紗久羅インタビュー
公開 : 2019.04.28 11:50 更新 : 2019.04.29 23:18
苦しかった、最初
2012年のデビューは、彼女が積極的に選んだのではなく、当時の芸能事務所のマネージャーがほぼ独断で入れた「仕事」。そして彼女がサーキット最初に立ったのは、例年になく冷え込んだ寒さに震えるスーパーGTの開幕戦となる岡山。
「最初はレースクイーンのお仕事も何もわからなくて、さらにその日は雹が降るような寒さの中でのお仕事だったので、体調を崩して、しかもサーキットには知らないひとたちがたくさんいて……。ひと見知りも発動しまくりで……笑。今までとは全然違う環境にすごく焦りました。なので1年間やっていけるかすごく不安になりました。」
「でもシーズンを過ごしていく中でメンバーとも徐々に仲良くなっていって、クルマのことも少し分かってきてから少しずつ変わっていきました。チームの雰囲気とか関係性とかにも惹かれて、なんだか暖かい場所で居心地がいいなとか、チームが負けるとこんな気持ちになるんだとか、勝つとこんな気持ちなんだ、とか。それまでの仕事では経験したことのない新感覚の発見があって、それで楽しいと思うようになって「続けてみようかな」、っていうのが1年目でしたね」
徐々にレースクイーンという仕事が好きになっていったという、彼女。そして2015年にD’stationフレッシュエンジェルズのメンバーに。これは、スーパーGTに参戦しているD’stationのレースクイーンのユニットで、この年から歌って踊るアイドル的なユニットとしての活動を開始することになっていた。
「歌とかダンスは得意じゃないけど経験してみたい気持ちはありました。自分の声が入ったCDなんて未知でしたし、自分が映ったMVも想像がつかなかったし……。なので、そんな自分を見てみたいし、見てもらいたいっていう前向きな気持ちでした」