アイルトン・セナ 没後25年 彼を知るひとのコメント

公開 : 2019.05.03 09:00

ロン・デニス(マクラーレン・グループ会長兼CEO)

「われわれが1983年に彼を最初にテストしたとき、彼は自身が優位に立つことに非常に積極的でした。彼は直前にテストを受けた若いドライバーがタイヤにダメージを与えたことを指摘し、新品タイヤを要求したのです」

「彼は確かに速かったのですが、1984年の時点ではわれわれにはアラン・プロストやニキ・ラウダがおり、彼と契約することはできませんでした。素晴らしいドライバーは、チームの重要性を認識し、チームが良い方向に向かうために適切な行動ができるものです。アイルトンがマクラーレンへの参加を望んだ理由のひとつには、ホンダ製エンジンがあったようです」

「アイルトンはエシャーに家を借りており、ほとんどのミーティングはそこで行われました。契約金についての話し合いの中で、最終的にコイントスで決めることになりました。そこでも誰がそのコインを投げるかでも揉めました。彼の家にはダークブラウンの長いパイル地のカーペットが敷かれていました。しかしコインはカーペットの外のフローリングにまで飛んでいきました」

「結局のところ、われわれは最初の1シーズンを50万ドルでどうかと話していましたが、最終的に3年間で150万ドル超の契約になったと記憶しています」

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