試乗 1954年式 デイムラー・ドーファン 英国上流階級の悲喜こもごも
公開 : 2019.05.20 07:10 更新 : 2020.12.08 11:10
1台限りのフーパー製コーチビルド
ドーファンという名前を使用した理由は定かではないが、デイムラー車に共通する、堂々としたモデル名というテーマでは一貫している。「ドーファン:Dauphin」とは、フランス語で王位の法定推定相続人を指す。1930年にデイムラーの兄弟会社だったBSA社(バーミンガム・スモール・アームズ)がランチェスター社を取得すると、1946年に発表した冴えないミドルクラスに、その名前を与えていた過去がある。
今回ご紹介するドーファンは、ランチェスター14シャシーを強化し、フーパー製の美しいクーペボディを搭載した4シーターモデル。エンジンは2.4ℓのツインキャブレターを備えたデイムラー製6気筒を搭載している。ボデイ後半がエッジの効いた「エンプレス(女王)・ライン」と呼ばれるスタイリングで、素材はアルミニウムが用いられている。
ルーカス製のヘッドライトが納まるフレアフェンダーはデイムラー・フーパー/ドッカーのトレードマークだったが、デイムラー・スターダストの縮小版のようにも見える。このクルマには贅沢な細工の入った塗装はなく、ブルーとグレーの味わい深いツートンボディにコノリーレザー・バウモルとの組み合わせに留められている。ノラ婦人はボディカラーになかなか納得せず、ボディの架装していたフーパー社には沢山のメモが残っている。ちなみにフーパー社の設計番号は8396となっていた。
当時の価格は4000ポンド(56万円/現在の価値で約1500万円)もしたため、ドーファンのオーナーはなかなか現れなかった。1903年に創刊された「The Motor」誌には、好意的な記事が掲載されたものの、アールズコート・モーターショーではまったく受注がなかった。ランチェスター・ドーファンが製造されたのは1台限りで、イングランドの北部のリーズを経由して、アメリカのオーナーへと左ハンドル車が納入された。ドーファンと同じ基本ボディ形状はコンクエスト・センチュリーにも流用されていたが、ヘッドライトの形状で異なっている。
恐らくランチェスターという名称が廃止されたためだと思われるが、シャシー番号70007のクルマは工場へ戻り、デイムラー・ドーファンとして焼き直しされる。さらに1954年にコベントリーのナンバー「OVC 444」を取得し、ノラ・ドッカーの姉、バーニスと結婚したディック・スミスの個人所有車になった。ディックは当時、デイムラーのジェネラル・マネージャーを努めていた。