試乗 1954年式 デイムラー・ドーファン 英国上流階級の悲喜こもごも

公開 : 2019.05.20 07:10  更新 : 2020.12.08 11:10

本格的なレストアで甦ったボディライン

ドッカー一族の活劇は、この辺りでエネルギー切れとなってくる。BSA社の理事や株主も、横暴に我慢できなくなったのだろう。最後の浪費となったのは、8000ポンド(113万円/現在の価値で約3000万円)近くを費やした、オートクチュールのガウンをしまうワードローブ。ダイムラー社のクルマがスパンコールで描かれたもので、パリでのプロモーション・イベントのためにノラ夫人が特注したものだった。マダムからの経費としての請求書を内国歳入庁(税務庁)が却下すると、BMAの理事たちはノラ婦人へ請求書を発行し、彼女の夫、バーナード卿を取締役会から外す手続きに入った。

当時目新しかったTVを利用した広告も交えて理事会との戦いを繰り広げたが、バーナード卿は1956年に席を奪われ、ディック・スミスはその措置に講義してジェネラル・マネージャーを辞任。1954年式のデイムラー・ドーファンも失ってしまう。

デイムラー・フーパー/ドッカーのフルサイズモデルと同様に、この右ハンドルのドーファンも自動車市場からは一時姿を見なくなる。ブライアンEスミスの著書、「デイムラー・トラディション」では、1970年にデイムラー&ランチェスター・オーナーズクラブでのミーティングに、ドーファンが素晴らしいコンディションで姿を表したと記述がある。

その後、ディック・スミスが所有していたナンバー「OVC 444」のクルマは、ラブ・アンド・ピースなヒッピーにより、サイケデリックな塗装が施された後、バーミンガムのスクラップヤードで放置されることになった。そこから先の展開は明らかではないものの、どこかのタイミングでデイムラー・ドーファンは救い出され、英国東部のシェアーネスに住む医者のために、ボディを下ろしての本格的なレストアが施された。

ロールス・ロイスのコーチビルダーだったマリナー・パークウォード社は、英国でも最古の部類に入るコーチビルダー、フーパー社による官能的なボディラインに感銘を受けただろう。1930年代から変わることがなかった、気取ったデザイン様式から抜け出すことができなかった、フォーマルなスタイルではあるけれど。

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