AUTOCARアワード2019 エディターズアワード アンディ・パーマー

公開 : 2019.06.02 08:50  更新 : 2019.06.03 08:54

エディターズアワードは、昨年アストン マーティンの株式上場を果たすことに成功したアンディ・パーマーに贈られます。長く低い収益性に苦しんできた名門スポーツカーブランドの復活は、彼にとっては知的なチャレンジであり、これからもその挑戦は続きます。

もくじ

知的チャレンジ 野心的な計画
開発のサイクル 慢心は禁物
思い切った決断 ヴァルキリーの持つ意味
目標は1万5000台 さらなる成長へ
番外編:アストン株式会社

知的チャレンジ 野心的な計画

「106年もの間、誰もアストン マーティンを利益の出る会社にすることはできませんでした。そんなことは簡単だと考えるのは傲慢とも言えますが、自分の能力を発揮できる、素晴らしい知的チャレンジだと思ったのです」

23年間築き上げてきた日産でのキャリアを止め、アストン マーティンCEOへの就任を決めた2014年の決断は、必然のものだったとアンディ・パーマーは言う。

「2014年当時、アストンは非常な苦境にありましたが、一方で、ブランドという素晴らしい資産が残っていました」と彼は続ける。「だからこそ、わたしはアストンに移ることにしたのです」

確かに、偉大なブランドではあるが、偉大な企業ではなかった。だが、例え問題の解決が大変な仕事だとしても、パーマーには、その問題の本質が分かっていたのだ。「明らかだったのは、アストンらしさを創り出すリズムのようなものの欠如でした。ラインナップには、すでにデビューから12年から13年目を迎えたようなモデルすら存在していました」

だからこそ、パーマーは、その後の7年間で新たにブランドを代表する7つのモデルの登場を約束したのであり、さらには、アストンにとっては初となる、ミッドエンジンスーパーカーやEVを生み出し、新たな工場を建設するとともに、ハイパーカーやラゴンダ・ブランドの復活、株式上場まで打ち出したのだ。

こうしたことは、どんな自動車メーカーにとっても簡単ではなく、ましてや、アストン マーティンのように小規模で、長年苦境に喘いできた会社にとっては、ほとんどおとぎ話のようにすら思えた。

「非常に野心的な計画でした」とパーマーも認めている。「そう認めなければ、わたしは嘘をついていることになるでしょう。EVもSUVも、ミッドエンジンのモデルもありませんでしたから、ほとんどが初めてのことばかりでした。昼夜を問わず、数々の課題に取り組み、多くを学び、もちろん失敗もしています」

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事