AUTOCARアワード2019 モータースポーツヒーロー部門 ジョージ・ラッセル
公開 : 2019.06.01 10:50 更新 : 2019.06.03 08:54
才能が武器
ワークスのカートに乗り、マクラーレン・オートスポーツBRDCヤングドライバー・アワード輝いて、10万ポンドの賞金を得たことで、金銭的な負担は軽くなったが、このステップアップもまた、モータースポーツの伝統に則ったものだった。彼はその才能によって注目を集めることに成功したのだ。
「グラビティという会社を経営しているグウェン・ラグルーというフランス人でした」とラッセルは言う。「2011年、カート場でわたしを見た彼は、わたしを高く評価してくれました。数年後、彼は(ドライバー育成アドバイザーとして)メルセデスに加わったのですが、最初に契約したのがわたしだったのです。誰がどこで見ているか分かりません。メルセデスに加わることができたのも彼のお陰です」
ラッセルの成長の核となっているのがメルセデスでの経験であり、彼の将来のカギを握る存在でもある。だが、メルセデスに加入したのは、ラグルーに才能を見出されただけが理由ではない。ラッセルは、突然のeメールから初めて、メルセデスF1チーム代表のトト・ウルフに自分を売り込んでもいたのだ。
「2014年の年末にトトにメールを送りました。そうしたら、彼から20分もせずに返信が来たのです」とラッセルは言う。
「それまでは、メールを送ると、すぐにベッドに入っていたので。こんなことは初めてでした。翌日、携帯の電源を入れると、彼から電話があったことに気付きました。2週間後には彼のオフィスで面会しています。その時は特に進展はありませんでしたが、彼からは「これからも連絡を取り合おう」と言われ、実際、コンタクトは継続していました」
こうした事情があったので、グウェンが『ジョージ・ラッセルに会う必要があります』と言った時には、トトはわたしのことを知っていました。ですから、その時トトは、『いいや、すぐに契約する必要がある』と、言っただけでした」
最初のミーティングからラッセルが契約書にサインするまでの間、フォルクスワーゲンからのサポートに興味を抱いたことで、彼はウルフのアドバイスに逆らい、メルセデスとのフォーミュラ3契約を断っている。
「彼は『間違った選択だ』と言いました」とラッセルは話す。「ですが、どのチームで走っても、好成績を残すことができれば、彼は自分に関心を持ち続けてくれるだろうと考えたのです。時には自分の考えを押し通すことも必要です。勝ち続ければ、誰もが関心を持ってくれますが、勝てなくなれば、それもすぐに失われます」