試乗 アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スプリント ハンドメイドの不完全さもそのままに
公開 : 2019.06.04 20:10 更新 : 2021.02.02 12:51
スウェーデンに送られたシャシーナンバー00024
ターコイズ・ブルーが美しいこの個体のシャシーナンバーは00024で、残存している最も初期のジュリエッタ・スプリントだと考えられている。ボディナンバーは16が刻まれており、インナースキンのあちこちに刻印されていたそうだ。一見すると普通のスプリントの初期型にも見えるが、低いルーフラインやホイールアーチのカーブ、エンブレムが付いていないことなど、詳しく観察してくと特徴が見えてくる。
このクルマは、若いスウェーデン・レーサーのジョー・ボニアが注文したものだった。当時25歳のボニアは、印刷会社を営む裕福な家庭に生まれた青年。英国オックスフォードで学んだ後、スウェーデンでスポーツカーの販売会社を営む傍ら、モータースポーツの世界でキャリアを積むことを決める。実はその時点ですでに、ボニアはアルファ・ロメオとの関係性を築いていた。
雪上レースやラリーなどに参戦していた彼は、空飛ぶ円盤、アルファ・ロメオ・ディスコ・ボランテのドライブ経験も持っていた。また1956年にはジュリエッタ・スプリント・アレジェリータを駆って、ミッレ・ミリアにも参戦しているだけでなく、F-1にも参戦している。
しかし、このクルマの記録ははっきりわかっていない。ボニアがジュリエッタ・スプリントの注文を決め、納車されると、5月までは彼のメカニック、カゲ・カンレルが運転したようではある。まばゆいボディに、ミラノのナンバーを付けてスウェーデンまで自走してきたのだろう。
澄みきったブルーに染められたコンパクトなクーペは、スウェーデンに上陸した初めてのジュリエッタ・スプリントだったはず。その後ボニアは、スウェーデンでは有名な企業家、イワン・ブロムへ売却するが、それまでの間ストックホルムでは注目を集めていたと思う。
「ボニアがデモンストレーション用に走らせていたと思うのですが、レースに参戦した証拠までは残っていません」 と情報をまとめる現オーナーのグレゴリー。残念なことにこのクルマの登録記録は1955年以降残っていなかったが、現地のアルファ・ロメオ・フリーク、いわゆるアルフィスタによって、所有履歴を辿ることができたそうだ。