伝説のジャガーEタイプ、CUT ディック・プロザーローの生涯
公開 : 2019.06.08 07:50
失明後もパイロットを続ける
プロザーローは戦後、次第に自動車レースに興味を持つようになったが、英国空軍はすぐには彼の退役を認めようとしなかった。1950年代初め3Vボマーと言われたV爆撃機のうち特にピッカース・ヴァリアントとハンドレページ・ヴィクターや、連合軍初の実用ジェット戦闘機であるグロスター・ミーティアのテストパイロットを務め、その後もパイロットの訓練を担当した。
ストックカーのレース中に前方のクルマが弾いた石が当たって右目を失うが、それでも彼はまだ飛行機に乗り続けさせられ、除隊を許されなかった。しかし、失った右目のため編隊飛行を行うことはできなくなった。プロザーローは次第にそのことに不満を募らせていった。
1952年、エジプト駐留中に、彼は初めてのジャガーとなるアルミニウムボディのXK120を手に入れた。彼はこのクルマに手を加え、地元のモータークラブのレースで活躍した。ピラミッドの側で見つけたこのクルマを、彼は冗談交じりに「エンシェントエジプシャン」と名付けたが、このニックネームは、すぐにモーターレーシング界のレジェンドとなった。
1953年にはこのクルマと一緒に英国に戻り、そのXK120をGPN635として登録した。このクルマが、彼が所有した3台のXKの最初の1台となった。そして最後のXKはCUT6のナンバープレートで登録された。