伝説のジャガーEタイプ、CUT ディック・プロザーローの生涯
公開 : 2019.06.08 07:50
Eタイプもレースで活躍
最後のXK120でレースに参加していた頃には、すでに空軍を退役し、プロザーローはカウンティモーターズという名前の小規模なオースティン販売店を起ち上げていた。若いメカニックのビル・コッテリルの手助けもあって、積極的にレースに参加し、素晴らしい成績を収めていった。
その中には、プロザーローが10年間のレース出場の中で、唯一ジャガー以外のクルマで戦ったオースティン・ヒーレー100S(1958年)でのシーズン優勝も含まれている。しかし、彼は友人のウィリアム・ライオンズ卿への忠誠心が強く、根っからのジャガー党でもあった。そして1960年代に入ると、カウンティ・モーターズの業務をジャガーEタイプの修理販売へと拡大していった。
ジャガーが最初に発売した右ハンドルのサラブレッド、Eタイプはいずれもロードスターだった。ジョン・コームス、トミー・ソップウィズ、ピーター・サージェント、ロビン・スタージェス、ジャック・ランバートらの所有する数台のEタイプが、すぐにレースに用いられるようになったが、右ハンドルのクーペは、その年、1961年の8月末から9月初めまで登場しなかったが、遂にフィクスドヘッドクーペのナンバー860004、4番目のシャシーが、プロザーローに割り当てられることになる。
このEタイプはインテリアトリムがダークブルー、エクステリアがオパルーセント・ガンメタルグレーで仕上げられ、1961年9月13日にプロザーローに納車された。当時、メカニックであったパット・ウェルズによれば、プロザーローは、すぐにXK120ではこの新型相手には勝負ができないことを理解し、1962年シーズンには新たなロードカー、つまりEタイプに切り替えることにしていた。